■阪口涯子の俳句

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●黒の回想 わが俳句遍歴 (116)


写真   ススキ   2006.8.22   酒匂川近くにて



           

黒の回想 わが俳句遍歴 (116)・・・阪口涯子


 【 鞭とエール 】
     
1981・9・3(水) (つづき) 台風済洲島辺に停滞。曇天気温29、烈風。 うさぎ小屋にて。 

 日本短詩型の美の拠点とされる「空白の美」と「静態的風土論」。
それがおそろしく前時代的な空白の美、風土論だと言ったら、

多分、大多数の現代俳句人は、
お前は全然解っていないと反論するだろう。


その「空白の美」、「宿命的風土論」が涯子にも全然解らぬわけではない。

だがその「空白の美」と「風土論」が時代的なのかが現在の問題なのだ。

彼らは、空白の美や風土論の深奥に横たわる、
花鳥に勝るもの人生になしという一種のニヒリズムこそが

現代俳句の根底に存在する哲学だと断乎として主張し
反論するにちがいない。


が、それにしては現代俳句の実作は余りにも弱々しい唄声に過ぎないではないか。
現代のニヒリズム俳句とならば、その主流にそっぽをむいている。


パラドキシカルな、例えば、島津亮、加藤郁乎、
或いは現在の散文を句で描いてる藤後左右俳句あたりに却って
そのかすかな発芽の匂いを嗅ぐ。

パラドキシカルな、少数派。

つねに少数派が次の世代を担うというのは歴史の証明するところだ。
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  1. 2006/08/27(日) 08:26:32|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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