■阪口涯子の俳句

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●黒の回想 わが俳句遍歴記 (3)


           写真「野茨」2005.5.16 酒匂川にて




             ●黒の回想 わが俳句遍歴記 (3)
 
   1980年1月4日(金)つづき
 
 涯子よ、お前何を話す積もりなんだ。だから回想録めいたものはご免だとはじめから言っていた

のだ。ぼくが妻と一時別居したことまで書かねばならぬようになるではないか。その話止めるよ。そ

の小母さんは戦後間もなく死んだよ。

 
俳句の話に一寸戻るよ。九大医学部に昔々あった有苞(アルツト)会(アルツトは独乙語の医者)

が再興されたのが大正十三年頃だ。横山白虹たちがそれを興した。二級下のぼくらがそれに合流

した。その時の先生が吉岡禅寺洞、清原枵童(「木犀」という俳誌を福岡から出していた)、客分に

高崎烏城(筑豊の炭鉱主で矢張り俳誌「黒土」をもっていた)と久保猪之吉(九大耳鼻科教授)そ

の令室の久保よりえ。

     管草の一本ゆえの丸木橋   よりえ

     京の薊浪速の水によみがえれ よりえ

 そんな先輩やぼくら学生で九大俳句会は構成されていた。この外に富安風正、お寺さんの河野

静雲など居られたが九大俳句会には全く関係はない。が何れにしてもホトトギス派としての九大俳

句会であった
 

 
大正十五年(昭和元年)ぼくは九大を居酒屋のはした酒のみながらいい加減な勉強で卒業した

が、そしてホトトギスも漸く四S時代に這入ろうとしていたが、他人の苦痛を苦痛としない、大宮人

的というのか、ブルジョアあるいはプチブル的というのか、そんな花鳥諷詠の世界が何うしてもぼく

にはなじめなかった。

 

又ぼくが高等学校時代に習った独乙語は、たとえばウインド(風)がブレーエン(吹く)し、ブレッテ

ル(木の葉)がゾイゼルン(そよぐ)する、そんな艶やかな独乙語であったのが、解剖学の例えば

後頭部の突出部がブロッペランチア・オクチビターレ・マヨールであったり、鼻骨の小孔が何であっ

たり、一つ一つに名前が付いていてそれを記憶せねばならぬノーメンクラツール(記載学)という奴

がぼくには苦手であった。

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  1. 2006/01/08(日) 00:11:48|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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