■阪口涯子の俳句

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●黒の回想 わが俳句遍歴記 (4)


          写真「野茨」2005.5.16 酒匂川にて




             ●黒の回想 わが俳句遍歴記(4)
 
   1980年1月4日(金)つづき

 医学事始は記憶記憶記憶記憶。フォルマリン漬けの屍体(ライヘ)の臭いは下宿の夕食の刺身

に乗り移って刺身など小一年は食べられたものではない。

 
それにぼくが熊本の高等学校時代の半ばに実家の父は、東新などの株式の大暴落で見事に倒産していた。そして赤札の中でぼくら一家は暮していた。



 父の遠い親類が福岡で弁護士をして、当時の市会議長をしていて、その人の別荘が、名島(昔の多々羅浜辺だ)にあって、そこに置いて呉れるという話がついて実はぼくは九大に行ったわけな

のだが、話しがこじれ出すと切りがないもので、今度はその別荘の番人が他人を置いて世話する位なら自分がそこを出る、そんな約束はしていないと、この人も変り者だったのだろう。


その話はオクラ入りになり、何とかしようといってくれたその遠縁の弁護士(間もなく病死したが)の話を断り結局はルンペン。

 

郷里の父の知人や縁者に借金して、辛うじて好きでない医学部を卒業はした。長崎県庁にも

SOSを発信したが、役所という所は融通のきかぬ所で、書類には医学部のお前の成績表が要るという。

中学や高等学校には成績はあるが、大学には及第落第があるばかりで成績は無いのだと何度かそう弁明したし、中学や高等学校の成績は送りはしたが、県庁側はそれがルールだからといって到頭奨学資金は貸してくれなかった。



 現在のようなアルバイトなどは何もない時代であった。だからいろんな借金をかかえ、又、

ある人から逃げるために促成結婚をして学究時代を短く端折って大連にとび出したわけだ。<ろくでなし

の医者涯子><俳句などすててしまった涯子> (つづく)

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  1. 2006/01/09(月) 15:53:45|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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