■阪口涯子の俳句

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

解説 4


         
   
   ★ 阪口涯子句集・解説・井上光晴 (4)


 砂之章はひときわすぐれて虚無的であり、フォークナー流にいえば、響きと怒りにみちあふれている。
 
求めようとしないからこそ、神は答えないことを、涯子は知りつくしている。

  
          どろんと赤道直下ちっとも神答えず

          首かざりのような夜景のひとり仕官

          
 「ちっとも」は、地球の重さをはかろうとする不逞な涯子の計算である。彼にとっての慄えは、神の存在ではなく、醜と美を紙一重にしばる現実そのものである。


           旗に咳し砲に咳して白瀑布

           れんぎょう雪やなぎあんたんとして髪だ


 <れんぎょう雪やなぎ>を例にあげながら、涯子自身、創作の根底となるべき  方法について語っているので、少し長くなるが引用してみよう。
 

 ぼくの口語表現というのは、さっきもいいましたが、ぼくの血液に近いようなものが前からあった、ということが一つ前提にあると思うんです。
それから、長い口語俳句のトンネルを通って、全部口語でやろうというような野望をいだいて、口語俳句の世界で悪戦苦闘して、

結局無駄な努力を十数年重ねて、実りなきものを実験したというその結果が、しかし、ある意味では自分のプラスにもなったと思いますし、なるだけ口語的な表現というか、発想というか、表裏一体のそういうものになって、

そして仮に<れんぎょう雪やなぎ>という、あれは、リズムは、九七三ですか、九七三というのは合計したら、十九音か、 十九音というのはそれほど長くはないが、リズムは五七五原型から、

かなり離れたという感じがあるから、ほかの人はリズムの堕落だというかもしれないけど、ぼくは、自分自身の身についたものでなんの抵抗もないですね。ぼくにとっては、リズムとは内側にあるものであって、外側にあるものではない、ぼくのリズムはぼくだけのリズムであって、それはもうすでにフォルム

というよりはむしろぼくのスタイルだと、そういう風な感じなんです。スタイルといういい方のもう一つ内側には北川冬彦だったですか「リズムは思想だ」という、そういう考え方に今立っているわけです。

<れんぎょう雪やなぎ>の句だって、自分としては、スタイルと、大きい意味の思想と表現が一体となって、結局自分自身であって、五七五からはるか遠ざかったという抵抗は全然感じていない。

ぼくのいまの作品、みんなそうだと思っているんです。

スポンサーサイト
  1. 2006/01/10(火) 14:25:10|
  2. ■ 『阪口涯子句集』 解説・井上光晴
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<●黒の回想 わが俳句遍歴記 (5) | ホーム | ●黒の回想 わが俳句遍歴記 (4)>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://k575.blog.fc2.com/tb.php/580-f4417a12
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。