■阪口涯子の俳句

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●黒の回想 わが俳句遍歴記 (5)


           写真「野茨」2005.5.16 酒匂川にて




             ●黒の回想 わが俳句遍歴記(5)

           

     1月5日(土)   

 いまこれを書いている所は玄界に面した伊万里湾の突端の福島という島だ。長いピンク

色の鉄橋で伊万里市とつながっている、そこのつばき荘という国民宿舎だが温泉が湧いている。

カルシウム泉らしが箱根のどこかの温泉に水質が似て透明でなだらかだ。昨日から来ているのだ

が今は朝の太陽が空に降りそそいでいる。


 
  回想録の中で一番いやでたどたどしい所を只今通過中なのだが、そうだ二十代の末から三十二

歳位まで(昭和三、四年から昭和十年まで)ドストエフスキーだったら「貧しき人々」をとうに卒業し

ていた時代だったかも知れない。平凡な涯子はまだ郷里の家の破産の後始末に奔走し、小説家

になるといって早稲田の英文科に通っていた弟にも加勢をしていたが、それでも英国のH・M・V

や独乙のポリドールの原盤などを名器クレデンザにかけて東京外語を出た英語の先生などとベー

トーウ゛ェンやモーツァルトやショパンやドビュシーなどなどを楽しみ、何かの研究の名を借りて、京

都に遊び東京に遊び、学生時代の苦(にが)さを少しずつ中和した、そんな束の間の安らぎの時

間が流れていった。

 

 早稲田を卒業するという弟から満州に何か文化的な職場はないか捜して呉れと云って来た。「べ

らぼうめ!この荒涼たる満州にそんな甘い仕事があるか、東京で捜せ」と叱ってやったら、「いや

文化的とは自分の言いすぎであった。そう怒らないで何か適当な職場をたのむ」と弟は辞を低くし

て再び頼みこんで来た。高橋ダルマ大臣の不景気時代であった。弟は牧師さんの宅に下宿し、そ

の時はその牧師の娘と仲よくなっていたらしい。

 
 
 仕方がないのでそのころは未だ試験放送中であった大連逓信局の放送部に入れてもらうことに決

めたのだが、そして弟は単身で大連の僕の旧露街の赤レンガの家にころげこんで来たのだが二、

三日たつと「兄貴済まないが僕は卒業していない」「何うしたんだ」「実はブタ箱におしこめられて

卒業試験が受けられなかった」

 仕方のない弟め、僕は放送部に採用延期を頼みこみ、再び弟を東京へ返した。九月には弟は牧

師の娘をつれて威風堂々と大連に乗りこんできた。(つづく)

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  1. 2006/01/11(水) 08:21:02|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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