■阪口涯子の俳句

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●黒の回想 わが俳句遍歴 (7)


 
       ●タイトルの涯子句  戦後俳句作家シリーズ36・阪口涯子句集・砂之章 より抄出
                     
          
           黒の回想 わが俳句遍歴 (7)

     1月5日(土) つづき 
 
 あの放送部の技術や人材はあとの赤坂の「東京放送」に引き継がれ

たと聞くが、そして安東から半ば徒歩で奉天に出て秦皇島から帰国した弟の妻は現在厚木で脳

腫瘍のため明日をも知らぬ命らしい。その子供の夏彦はおじいちゃんのために株式の復讐戦を

一度はやるんだと力んでいるらしいが、そのこと涯子にもその気がしないわけでもないが、おじい

ちゃん即ちぼくの父の大正時代の十何万円は今日の億単位の円であろうけど、金色夜叉になりた

くとも、それは夢の又夢。
 
 

 分相応にウサギ小屋でつましく暮らすしかない時代ではないか。そして少し淋しいけれどこの玄

界に面した伊万里湾の突端の小島に来て孤りで温泉にはいり、孤りで持参のオンザロック用の冷

酒をのみ、余り乗り気でないこの雑文を書きひそかに反逆のまなじりを立て、他人の自由を余り傷

つけないで・・・・・・・まあその位でグッドバイしようよ。今日は、地図を見れば「たつのおとしご」に一

寸似ている周囲10キロ、人口3700のこの島をここの教育長がドライブにさそってくれた。

 

 彼は長崎新聞のぼくの投句者だし、暖冬無風の雑木林の向こうには元寇の役の鷹島が横たわり、

又佐世保の九十九島に良く似た小さな島たちが青い凪の中に声をたてずにちらばっていた。か

つてはここは石炭の島であったはずだ。ドル買いの責任を一人背負って佐世保の親和銀行を辞

めたI重役はここで炭鉱主をしていたが事業や家族の件に行きつまってその人は首つり自殺をし

た。そして友人兼医師のぼくがその最期をみとどけた。ボタ山が今日もいくつもラクダ色して残って

いた。 今度はそこを半ばけっずってLPGガスの基地にするとか。激しい時の流れだ。

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  1. 2006/01/15(日) 08:47:13|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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