■阪口涯子の俳句

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●黒の回想 わが俳句遍歴 (8)


          黒の回想 わが俳句遍歴 (8)

     
     1月6日(日)ーーー雨

 さきに云ったように、ホトトギス流の俳句を九大俳句会に行って大正十三年頃から数年続けて、

あとすっかり止めてしまった。その頃の作品は二、三今でも覚えてはいるが、ここで発表する勇気

は全然無い。で、昭和十二年の第二の出発から話を始めよう。あれは春だ。博多の呉服町の街角

に狭くて高い片倉ビルがあった。その六階にビールをのみに僕はひとりで登っていった。研究室

での僕の研究に一応めどがついてホッとした安堵感もあったのであろう。

 

 その六階の扉を押すやいなや、「オーイ、ジャズ清し」と学生服の一団からギャグ的なビール的

なコーラスをあびせられた。



  そこに巣くっていた九大俳句会の学生達古城朝彦(現在の澄子夫人、禅先生二女の夫)福岡徹、

片瀬わらびまでは今も思い出せるが、そこに鹿児島で現在「形象」をつづけている前原東作がい

たか何うかは想い出せない。前原はその後ずっと「天の川」編集にたずさわっていたらしいが、昭

和十六年だったか、旅行で大連にやって来て僕の家に一泊した。

 

 そして、もう危険だから、俳句のペンを折りたいと僕が云出だしたら、大連までやって来て、そん

な話を聞くなんて・・・・・と肩をおとして別れて行ったがこれはあとの話だ。昭和十二年一月発刊の

高屋窓秋の『河』がぼくの医化学教室の隣の生理学教室に居た棚橋影草の所に送られて来た。



 その『河』にそそのかされて、俳句に再出発した僕はおそるおそる「九大俳句」例会に出席した。そ

のころすでに眼が悪かった影草が出席したか何うかはっきりしないが、一柿がそのころの「天の川」

のリーダーシップをとっていた頃だ。それは昭和十二年一月二十一日ブラジレイロという喫茶店だっ

たと一柿は昨秋教えてくれた。僕は実験室の作品を出した。

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  1. 2006/01/17(火) 06:17:19|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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