■阪口涯子の俳句

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●黒の回想 わが俳句遍歴 (12)


                  写真「草苺の花」2005.4.16 松田山にて撮影

        黒の回想 わが俳句遍歴 (12)
  
     
1980.1.12(土)                                  ウサギ小屋にて

 当時中野正剛という有力代議士、多分玄洋社の流れをひいていたその代議士は禅先生のイトコ

とか聞くが、その代議士が内務大臣を説得してりして「天の川」は新興俳句弾圧事件を軽傷程度

で通過した。
 
 鹿児島の僚誌は弾圧検挙されたし、禅先生や片山御史らは幾度も幾度も警察に呼び出さ

れて調べられたが、結果はとにかく軽傷ですんだ。平田とかいう調査官が東大出身の物解りのい

い人であったことにもよろうし、中野正剛代議士の尽力にもよろうし、禅先生の少しばかり右寄りの

性格にもよる結果でもあろう。
 


 当時の「天の川」に「社会主義的リアリズム論」を連載していた山口草虫子(聖二)が朝鮮に居り、

「北風列車」的厭戦俳句を書いていた涯子が遠く大連にいたことも捜査の手がとどかなかった一

因をなしたということもあろう。

 

 敗戦の前年であったか、当時、満州で一誌、大連旅順の関東洲で一誌と俳誌は統合されていて、

ぼくらは大連で「鶉(うずら)」という統合俳誌を出していた。有季無季各派すべてがその俳誌に雑

居したわけだが、その俳誌の有季選をウサギ小屋にてが、超季選を内田慕情と僕と共選でやって

いた時代のことだが、「俳句研究」で大野林火が「鶉」には不純分子がいる。評者は俳句の名に於

て忠告するのだがと言って、その不純分子に三名の新興俳句作家があげられたことがある。



 内田慕情と京大俳句の河内俊成と僕の三人であった。俳句の名に於て、芭蕉の名に於て、或い

は天皇の名に於ては・・・・・もう沢山である。何うして自己の名に於て、その評論を権威づけないの

であろうか。
 
 ワビといい、サビといい、コッケイというそれは、その時代時代に於ての俳句作家がなしとげた、い

はば抵抗の表現であったと僕は解している。その時代時代に於て、それはまた、地上の倫理と奥

深い所で結びついたものでは無かったかのか。

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  1. 2006/01/25(水) 08:06:43|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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