■阪口涯子の俳句

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

●黒の回想 わが俳句遍歴 (13)


                   写真 「温室の花・ゲンペイクサギ」



        黒の回想 わが俳句遍歴 (13)
  
     
1980.1.12(土) つづき                                 

 さっき大連の「鶉」内部に於ても、金子麒麟草は退役軍医中佐であり関東州庁下の文化部長で

あり、上の句を忘れたが中下は「寒夜机上の戦陣訓」という北満の兵士作か将校作か知らないが

そんな風の俳句を日本一の名句だと云うのであった。彼の配下の俳人は、ぼくの、


             蒼穹に人はしづかに撃たれたる

             草原に人獣はすなおに爆撃され

などのかなり以前のノモンハン事件当時の句を持ち出して、「すなお」や「しづかに」が怪しからぬ

と喰ってかかるし、ぼくは往診鞄に、いつもチリ紙やタオルをひそませて、ひっくくられてもいいよう

に要心をしていた時代であった。ぼくも不用意な作品を発表したものであったが、そのころ未だ若

かったし、緘黙の美徳は猪のごとく知らなかったのだ。



 昭和十六年だと思うが郷里の父の病気及び病死などのために冬と初夏に二、三回ぼくは九州に

帰っている。そして禅先生や棚橋影草や北垣一柿らに会っている。九大の内科講堂の入り口でパッタリ会

った一柿には「涯子さん用心した方がいいですよ」と云われ、同級生だった影草は「涯子は

年々句が若くなって困る。俺を見習え」と短冊を一枚書いてくれた。彼は生理学の助教授であったが、


                
             老教授に潮騒にぶき日つづく


 彼はすでに殆んど盲目であったが、短冊の両端を左手の指で撫でさぐり乍ら短冊一杯に句を書

くのだが、それが却って面白い字になっていた。



 影草や一柿などのことは、何れこの回想録の中えそのうち触れることであろうが、この句を手本に

せよと影草に云はれても、そうしようかという返事はぼくには出来なかったので、せいぜいおとなし

くするよと返事したように記憶して居る。


 禅先生に、その冬の九州帰りのとき、九州が余り暖かだったので、ぼくは着ていた毛皮のチョッキ

を脱いで進呈したが、それは白色の羊の毛皮だったと記憶するが、釣りの好きな禅先生は釣りの

時いつもそのチョッキを愛用してそのチョッキに「涯子」と命名し、「おい涯子を持って来い」二女澄

子さんに云っていたらしい。そのことは戦後澄子さんから聞いた話だ。ぼくの作品に関しては禅先

生は先刻書いた「も少し線の太い俳句は書けないものかネ」と云っただけだった。

スポンサーサイト
  1. 2006/01/27(金) 08:38:55|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<鴉のジャズの赤い口みな宙にひらく★涯子 | ホーム | ぼた山とどろんこ河ぼく山脈を越えてきたが★涯子>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://k575.blog.fc2.com/tb.php/550-d7a3ccc4
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。