■阪口涯子の俳句

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●黒の回想 わが俳句遍歴 (14)


            黒の回想 わが俳句遍歴 (14)


 2.11(祝日)
  
 二週間余りの曇天と小雪が終って今日はやっと青空がみえる。北九州西九州の冬の気候は山

陰地方のそれに似て全くうっとしい限りで南国というイメージとは全く異った暗い空のもとにある。

その間ぼくは「うさぎ小屋」でふるえ乍ら、旧友「北垣一柿論」を「鋭角」に書き、又旧友佐伯信太郎

の句集『火口湖』に長い序文を書いたりしてむしろい忙しかった。


 今日は青空、禅寺洞の続きを書きたい、書かねばならぬ。北垣一柿、片山花御史に借りて来た

文献によって、このあたりは書く。
     
   昭和九年(1934)

              アドバルーン冬木はづれに今日はなき


という禅寺洞の句を秋桜子が論難したことに端を発して「天の川」と「馬酔木」との間に論争が繰返

され、その論争は「天の川」の

              血に痴れてヤコブの如く闘へり    神崎 縷々


と「馬酔木」の一作者の


              喀血の蚊帳波打つてはずされぬ


この両句の優劣論争で沸騰点に達した。そのことは無季有季論争の発端としてすでに歴史的でも

あろう。禅寺洞が「私は俳句に無季を承認します」と発言したのはこの年である。そのころ「天の川」

編集は横山白虹からすでに棚橋影草の手に移っていたのであろう。白虹が上京して「馬酔木」「天の川」両

誌間の和平工作を行ったが、それが遂に失敗し、白虹自身もその頃から「天の川」離脱への意志

を強めたらしい。

 そのことは「俳句研究」昭和四十七年三月号の「棚橋影草の一面」という白虹の文章に詳しく書

いてある。白虹が新興俳句運動の発展のためには両誌の提携が必要であるとして秋桜子を訪れ

て説得し、その諒解を得た上で「天の川」の説得にかかったが、「天の川」の皆が難色を示したとい

うことになっている。
   

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  1. 2006/01/29(日) 08:56:46|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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