■阪口涯子の俳句

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●黒の回想 わが俳句遍歴 (15)


            黒の回想 わが俳句遍歴 (15)


  2.11(祝日) つづき

 当時は秋桜子も誓子も新興俳句側に組みこまれていたらしい。新興俳句という言葉は誰が使い

出したのか、当時俳句を離れていた僕には「無季」の概念ほどには、はっきりしない。昭和十二年

俳句に再出発した僕の頭の中の新興俳句誌の代表は「天の川」「京大俳句」「土上」(島田青峰)

「旗艦」(日野草城)「句と評論」(松原地蔵尊)「広場」(藤田初巳)などであった。

 
 
 遠い昔のことで、記憶さだかでない。が、晦渋といはれた「天の川」の作風と優美と称された「馬

酔木」の作風と、より近代的で回転速度のはやいぼくの先輩横山白虹、性格的にも全く異質な

三者に和平工作的なものは当初から失敗に終る命数しか無かったのであろう。



 だが昭和十六年夏、禅寺洞の満州旅行に、僕は門司から大連まで同船している。その前後のこ

とであるが、すでに「天の川」を離脱し去っていた白虹と禅寺洞との間の和平交渉を、今度は僕が

提唱し、禅寺洞も強くそれを希望した。そのころの「天の川」はかなり淋しいものになっていたし、白

虹が復帰して呉れたらなアという僕のおもいがそこにあったのだが、時代の暗転の中で白虹に会う

機会も無かったし、たとえ機会があったとしても、そんな工作が成功するはずがも無い。その工作

のこと誰も知らない。白虹自身も知らない、北垣一柿も知らない。誰一人観客の居ない劇場での、

まこと淋しい僕のパントマイム。調べてみると、昭和十二年白虹はすでに主宰誌「自鳴鐘」の発行

に踏みきっていた。



 白虹が西東三鬼と共に禅寺洞の銀漢亭を訪れ玄関払いをくったのは、もっと後のことであろうか、

その話戦後それもずっと後で白虹自身から聞いたことであるが、それが昭和何年のことであった野

か時代考証に暗いぼくには解らない。

 只驚いたことに、あの有名な、


                水枕ガバリと寒い海がある    三鬼

の句は昭和十一年の「天の川」禅寺洞選でそれが発表されているという事実だ。

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  1. 2006/01/31(火) 06:59:32|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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