■阪口涯子の俳句

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

●黒の回想 わが俳句遍歴 (18)


                  写真 「パイナップルセージ」 2005.10.10


         黒の回想 わが俳句遍歴 (18)


   3.20(春分) つづき

 俳句の世界に戦犯問題が起ったり、俳句第二芸術論が謂われたりしたのは僕が大連から引揚げた一寸前

のことだった。第二芸術論に対するヒステリックな反論はその引揚当時も続いていたが、戦犯問題はすで

に影をひそめていた。古家榧夫の『単独登攀者』は今ぼくの所に古家氏が送って来たものだ。

 ロマンチシズムにあふれたこの句集は今でもぼくは好きだ。新興俳句運動、くたびれはてたクラシシズ

ムに対抗するには批判の色濃ゆいロマンチスズムの若さが必要であったし、古家もその秀れた一人であった。

 
古家が禅寺洞に対して戦犯よばわりしたか何うか、どこかでそんなこと聞いたような気がするが詳しい

ことは何も知らない。そんなこと旧天の川の人もぼくに何も語ってくれないで、何うして、こんなこと書

き出したのか、狐につままれたようなことになってしまったが、今ぼくが問題にしているのは「白馬」の

作品なのだ。「鶴百句」の名作を或いは「逃げ」といった僕ひとりの感慨なのだ。

 
「白馬」がかつての将軍たちが乗りまわしたその成れの果ての白馬にちがいないと<愚かな涯子>が考

えたとしても、「白馬」の作品が少し言葉がきついが「贖罪」の作品と僕が読んだとしても、どこか無理

があるだろうか。

 
新興俳句の大御所であった禅寺洞、口語自然律を称えながらも、口語自然律の道への遍歴をたどらざる

を得なかった、そしてその道半ばで、ぼくらそれにそむいてしまった、師といい弟子という道のけわしさ

に僕は涙する。臨終の少し前に訪れた僕に禅先生は呟いた。「今の天の川には人がいない」と。

スポンサーサイト
  1. 2006/02/06(月) 08:46:58|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<芽ぶき重ねる革命の落葉樹巨きくて★涯子 | ホーム | ガラスのよう遠くて寒い旅を決める★涯子>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://k575.blog.fc2.com/tb.php/534-4c4576d5
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。