■阪口涯子の俳句

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●黒の回想 わが俳句遍歴 (24)


写真 「南瓜の花」 2005.7 わが畑にて



         黒の回想 わが俳句遍歴 (24)

 6・7(土)--つゆの霽れ間  つづき

特に 横山白虹は九大俳句会のリーダー、「天の川」の編集長として、俳句が新興する運行の中で輝く星で

あったとして、白虹の

          冬の花一輪かざり昇降機 (昭和六年)

などをあげている。白虹自身、句集『空港』の巻末の略歴に、 昭和二年より、「天の川」の編集に当り、

と書いている。そして、昭和七年頃はすでにまだ医学生だった北垣一柿が盲いつつあった 棚橋影草をた

すけて「天の川」の編集を加勢している。

アンチ「ホトトギス」を、アンチ花鳥諷詠派を総称して新興俳句と称したのであろうが、その名付け親の

名をぼくは知らない。


新興俳句が、昭和六年以降の日本の「暗い時代」突入と期を同じうして発生したが故に、「花鳥」を離れ

「生きる」をその内容とせざるを得なかったことも当然である。そして無季の時代がはじまった。

だから時代考証的には新興俳句の名称が先で、無季俳句の名称がわずかに後だと云えるだろう。そんな時

代考証など、ぼくにはどうでもいい。秋桜子の「馬酔木」すらはじめは新興俳句側であったということ

だ。そしてぼくの先輩横山白虹、が戦争最中に「中央公論」に書いた五句、

          銃眼に銃執り夜天撃つべきか

などの一連に大連でひどくうたれた僕なのだが、現代俳句協会長の現在の白虹は、有季定型に帰り、そん

な苦悩的俳句を今は見せては呉れない。

昭和八年にはじまった「京大俳句」の人々の作品を、当時の『天の川』の人々の作品より、或いは、より

愛していたかも知れない<あわれな涯子>。

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  1. 2006/02/18(土) 08:20:56|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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