■阪口涯子の俳句

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●黒の回想 わが俳句遍歴 (30)


写真 「雪柳」 2006.3.2



         黒の回想 わが俳句遍歴 (30)

6.15(日)--つゆの霽れ間  つづき

鳳作自身も「旗艦」の指宿砂丘(榎島砂丘)に当てた葉書で

「小生最近一つのターニングポイントにあるような気がします。

句の傾向が一変するのではないか。


感覚的な句ならいくらでもできるが、それだけでは満足できず、むしろ、いやになりました」

と昭和十年九月号に書いていると、これは川名大の文章からの引用である。

あのころみんな若かったし、白泉、昭の批判にしても、それは同伴者としての

善意の「WHY」であり、最近の、ともすれば陰湿になり勝ちな俳壇的批判より、

カラリとそれは晴やかである。


昨秋は博多で北垣一柿は「鳳作が生きていたら、ずっと天の川に居ただろうか」

と云い出したが・・・・・それはともかく、次から次へと「天の川」は若い俊才を失い、

或いは白虹先輩を他に走らせあとでふれるが棚橋影草は盲い、などなど

禅寺洞の悲劇は昭和十年それは新興俳句の一つの頂点の頃だろうが、すでにそれが始まっていた。


鳳作にまた戻るが、昭和十一年頃だったか、十二年の初めだったか、

生物化学教室にいた僕が、隣の生理学教室にいた棚橋影草を訪れて雑談していた、

その時も影草は鳳作にふれ、さっきの白泉や昭の批判より、も少しきわどいことを言った。

僕はそのころ新興俳句にうとかったし、それは影草の鳳作に対するゼラシーの言葉だと

聞き流したが、ともあれ感覚の問題、人間の意識を知、情、意に分析する、

その情の先端の秀(ほ)、あるいは花、それを僕は感覚だと思う。
         

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  1. 2006/03/04(土) 08:18:50|
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