■阪口涯子の俳句

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

●黒の回想 わが俳句遍歴 (35)


写真 「三椏」 2006・3・8 近所にて



            黒の回想 わが俳句遍歴 (35)

7.19(土)20(日)      「天の川」 つづき

彼の眼疾(結核性網膜炎)は卒業後いつ始まったのであろうか、僕が九大の医化学教室に帰学した昭和十年には最早半盲状態であった。
俳句作品に、はっきりそれが表われるのは昭和十二年からだ。

彼には『洲』という昭和十四年に出した句集一冊があるだけ。その黒装の句集は北垣一柿の『藻』と全く同じ装釘で同時に出版され兄弟句集と謂われていた。

表も裏も真黒で表は左上方に純白な活字体の「洲」、それも白線で正方形に囲まれていて、下方に著者名が5号活字でこれも白く打たれている。この黒と白の諧調は簡素でそして美しい。

あとで(昭和五十二年)一柿はその「俳句通信」の中で書いている。
この二つの句集は実費は五十銭で定価は一円だった。

三百部づつ刷って二百部づつを「天の川」に寄贈したと。
尚、当時九大医学部助手であった私(一柿)の月給は五十三円九十銭であったと。

『洲』には 昭和五年から同十四年までの作品百四十三句が載っている。
彼はその後作品を発表していない。戦後も彼は福岡や北九州のいろんな大学で
教授あるいは講師として生理学を講じ、その教壇で俳句の話ばかりしていたとか聞くが、

九大時代からすべて実験には女子高専出身の助手を傭ってそれをやっていた位だし、
「今更点字を習うのもネー」と云っていた彼、知に恵まれ財に恵まれた彼からは天は残酷にも光を奪い去った。半盲から全盲へと。



●nora追記 上記文中の「同じ装釘で同時に出版され兄弟句集」

     このイメージにヒントを得てか
阪口涯子第3句集『雲づくり』1983年刊は
     家木松郎『家城』句集発行のあとすぐ、
     同じ装釘同じレイアウトで、70句149頁で出版しています。

     家木松郎さんは富山・立山の外科医で、年齢も涯子さんと近く、      この『黒の回想』の文章を読んでいて、
     はたと気が付きました次第です。
      

スポンサーサイト
  1. 2006/03/14(火) 08:17:33|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<★波しぶき海泡うごく俺の未明★涯子 | ホーム | ★おろしだいこも銀河もあいまいもことあり★涯子>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://k575.blog.fc2.com/tb.php/469-b9d63307
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。