■阪口涯子の俳句

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●黒の回想 わが俳句遍歴 (40)


写真 「雪柳」 2006・3・21 フラワーガーデンにて




            黒の回想 わが俳句遍歴 (40)

7.27(日)  つづき  

                  銃後(一)

              一本の弔旗垂れ国土耕され

             野の光り農婦乳房をだいて生く

             遺児泣いて耕土の赫き辺におかれ

             ぼた山が野に聳ち人等還らざる

             炭塵が降りつぎ遺骨しろくかえる

 「 路次のうた」の叙情が、わずか二年後には時代の暗転をうつして、こんなにも批判的に変貌
せざるを得なかった、新興俳句の一断面新興俳句の敏感性をここに書き残しておきたいのだ。         

 それよりも少し時代はあとになるが、俳句の総合誌に火野葦平の「麦と兵隊」を銃後の
日野草城、東京三、も一人は白泉だったか誰だったか今は忘れているが、その火野の小説を
俳句にして発表した。

小説の一つづつの場面場面をつなぎ合わせて群作俳句にする。頼む方は兎に角として、
頼まれてそれを書いた人達は一体何ういう積りだったのだろうと大連で憤慨したことを今だに
覚えている。

北垣一柿は勿論そんな馬鹿な真似はしていない。
このリアリスチックな五句をみれば彼の立場の鮮かさも解るし、前の三名の甘さも解るはずだ。

新興俳句のエポックは今の「麦と兵隊」群作から起ったと平畑静塔が云ったとか、三谷昭がどこかで書いていたが、それは戦争想望俳句の発祥の地点をここに求めたということであろうが、

僕は「麦と兵隊」のナゾリ俳句、散文に跪く俳句の姿は新興俳句史の恥部であると思うし、
あの群作のために、俳句作りであることにひどく恥ずかしい思いをした新興俳句人も居たことを
ここに書いて置く。



   

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  1. 2006/03/24(金) 08:11:56|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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