■阪口涯子の俳句

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●黒の回想 わが俳句遍歴 (46)


写真 「道端に咲く野生スミレ」 2006・3・26 近所にて





           黒の回想 わが俳句遍歴 (46)

8・3(日) 晴 つづき



        みいくさに精緻の頭脳銃をうつ

        みいくさに学理は遠くなつてゆく

        みいくさに洋書の背皮がついてくる

        みいくさはラグビーの足で走らねば
                                 ーーー大学在学中召さるる人を送りて

これは多分十四年の作品であろう。


             海辺にて

        はまおもと遠くで戦さがあつてゐる

        はまゆふと出征の家がたそがれる

        うみくれて国旗がねむる墻にねむる

        網干して出征の家と白い夜と

        白い夜子らがあそんだ砂の上に

 そしてこれは多分昭和十五年の作品であろう。こんな「みいくさ俳句」などを書いた人が何うして
特高に調べられたのか僕には解らない。
それは当時の「天の川」編集人としてであろうか。

 鉄削る音を愛し、冬山の岸壁を好み、往時の花御史はどこかにレモンの香を漂はせ、
どこかはメルヘン的でもある。

戦争中には本職の鉄の仕事で満州の奉天に数ヶ月間滞在し、「南満晴れ陰」と題し七十九句の                       
戦争中の作品を残し、又昭和四十二年には、妻の急死を悼んで句集『運命』を上梓し、
八十句の追悼句のみの作品を書いているが、ここでは省略する。

戦後「天の川」で「口語俳句の基礎を求めて」誌上一ヵ年半にわたり山口聖二やぼくなどと論争
したことは何れまた後に書くであろう。が、この人など、戦中はもとより戦後禅先生が
口語自然律俳句を提唱後もつねにその運動の中枢に居た人だ。

今泉の廃墟と化した銀漢亭の跡地の前半分を教会に売り、後半分の土地に
禅寺洞邸を造ってあげたのも彼の努力だ(ぼくらもわずかだが喜捨をした)。

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  1. 2006/04/06(木) 06:10:41|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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