■阪口涯子の俳句

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●黒の回想 わが俳句遍歴 (48)


写真 「紫華鬘」ムラサキケマン 2006・4・  家の周りにて




           黒の回想 わが俳句遍歴 (48)

8・3(日) 晴 つづき

 文章は片山花御史、北垣一柿、前原東作、阪口涯子が書いている。
その前年の十二月の末にぼくは引揚げたのだが、今思えば軍靴をはいていたあのころは
まだ生気あふれている涯子であった。

「海程」に所属した北巣子はすでに世を去ったが、岩田秀芭というのは今の岩田秀一だ。
石橋辰之助の名がみえるのは、多分編集部の花御史が作品を特に頼んだのであろう。

 僕は考える。禅先生は何うしてこのまま進んで呉れなかったのだろうと。
この花御史から借りて来た「天の川」復刊号の禅先生の作品を見て更めてそう考える。

禅先生が自然律を称え出したのはそれから一年と経ってはいない。
翌、昭和二十三年の秋、ぼくは、禅寺洞、花御史に呼び出されて、福岡郊外の今津川の河口で
魚釣りをしている。

今津は海岸線に元冠の役の石るいが残存している所でまことに風光あざやか、
海も空も松も広重の版画にそっくりの所だった。

その海にそそいでいる今津川はそう大きい川ではないが河口は、かなり広々としていた。
実は今津赤十字病院(サナトリウム)の院長をしたいた勝屋ひろをが旧くからの天の川人で、
その人のお世話での釣り会であった。


三艘の釣り船を出して貰ったが、その一艘に花御史と風鼓とぼくが乗ったのだが、
その船の中で「何うして自然律なんて言い出したんだ」

ぼくの口調は少しなじり気味だったかもしれない。
「涯子よ、この美(うる)はしい自然を見よ、自然律とは此所から始まったのだ」

花御史の返事は全くのジョークに過ぎないが、それが本当に思はれるほど今津の自然は美しかった。
釣りは好きでない風鼓とぼくはまだ一匹も釣りあげないまま、河口の島に降してもらって酒を呑んだ。

 その夜勝屋邸でサナトリウムの患者たちを含めて二十名の句会があった。
その患者の気鋭の一人から

        こんとんとこんとんと光るのは深夜の西瓜

とは一体何を言はんとしたのかと、多分、そのころ「天の川」に発表したのであろうぼくの作品を
なじられたのを今も覚えている。

そのころの作品も今津で作ったまことに広重的うるはしい作品(?)もこの句を除いては
散逸してしまって覚えていない。

  <ずぼらな涯子>

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  1. 2006/04/10(月) 07:59:04|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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