■阪口涯子の俳句

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●黒の回想 わが俳句遍歴 (83)


写真「洋種山牛蒡の花」 2006・6・16 散歩コースにて



           

黒の回想 わが俳句遍歴 (83)・・・・・・・阪口涯子

      【 アロン 】

1981・1・17(土)  雪時

戦後の「長い口語俳句」のことを書かねばならぬが、その前に一寸と一休みしたくなった。

      アロン ①

 古川さん。あの当時の大連の混乱の相を書けとのことですが、引揚者の感情や記憶から一日も
早く卒業したい私にはそれは少し苦手なんです。

で西の涯の旧軍港、ではない、今はスベニール店きらめく謂わば新軍港の、その片ほとりの
草舎に全くの独りで、チクと焼酎を飲んだその酔いに乗じて、他愛ない与太話でもいたしましょう。

陰惨な話は私達沢山ですから、酔いに乗じてなるべく愉快にお饒舌りしたいものです。

 銀行屋さんの二夫婦と私達夫婦と一緒に天皇終戦のラジオを聴いて矢張り一人残らず死んで
しまえというわけではなく、戦争をやめるとの当然の話に何というわけでもなく

ラジオに黙礼したあとみんなでウイスキーグラスを挙げました。     
女たちは目をうるませてベーコンを炙りました。

解放された感じでしたが同時に渤海の真青い海と朝鮮多島海の泥いろの浪の連続が私の脳に
サッと流れ込みます。今更何うなるものでもありません。

私の医院は南山麓住宅街の中央にありました。この一帯は白系露人の巣であり、
また他の外人達や日本の実業家や高級サラリーマン達が住んでいて、

郊外の星ヶ浦と共に大連では一番異国的(エキゾチック)な街でありました。
私の患者は半ば以上は外人で私は心細い独逸語や、敗戦後は尚更いけない英語で
彼らと話ました。
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  1. 2006/06/20(火) 08:25:56|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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