■阪口涯子の俳句

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●黒の回想 わが俳句遍歴 (85)




写真 「ふわふわ」なんだろう?花後の花殻   2006・6・21  近所にて



           

黒の回想 わが俳句遍歴 (85)・・・・・・・阪口涯子

      
1981・1・17(土)  雪時 つづき

戦後の「長い口語俳句」のことを書かねばならぬが、その前に一寸と一休みしたくなった。

      アロン ③
私は白系達が生活に困っているのをよく知っている。

「  薬   代      い  く  ら  で  す  か ? 」
(ウィ ーフィール   エン  ゾル  イヒ  ベツアーレン )

「この次でもいいですよ」

「でも、それでは私自分自身に恥づかしい」と、その年の早春、スリジコフ夫人が

生命から二番目の外套(シューバ)を売払ってやってきたこともありました。

「私外套(シューバ)を売りました。少し寒い。けれど大連えは本当はそれは要りません」

 だが、その日の彼女は少し涼しすぎるのでしょうか、馬鹿にはしゃぐのでした。

私が南山麓に居を構えた頃の憲兵隊長は白浜中佐でした。

永年の軍隊生活で頭が半ば以上禿げ上がった中佐は、真夏私が隣家に引越して
その挨拶に行った時、痩せっぽちの奥さんと一緒に、前庭でトマトの黄いろい花を楽しんでいる

夕刻でしたが、私の名刺を私の目の前であわただしく裏表ひっくり返してみて居られるのをみて、
この人は正直な人だなと思った記憶が今も残って居ます。

この幼年学校出の白浜中佐は、自分の同窓は殆んど大佐や少将になってると少なからず不平の
様子でしたが、他の軍人同様酒好きでして、そして他の軍人同様学校出が嫌いらしいのです。

私は隣家に居住したため、隊長の家族の主治医たる光栄(?)に浴して、時々隊長の家に出入り
したのですが、ある夜、碁を打とうといって隣家に招かれた所、中佐はかなり酔っぱらって居ました。

碁はどうでもいいらしい中佐が叫びます。

「コラ、学校出の自由主義者奴!貴様らいつも俺の前ではぺこぺこしているが、今日は自分の
思うこと、引っくくりはしないから、はっきり言ってみろ」

僕突然のことで弱りましたが、「いや、参りました」とか、いい加減の言葉で濁し、
方々の態で自宅へ転進しました。

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  1. 2006/06/24(土) 09:07:16|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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