■阪口涯子の俳句

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●黒の回想 わが俳句遍歴 (86)



写真 ガク紫陽花・暗黒舞踏派  2006・6・22
 


           

黒の回想 わが俳句遍歴 (86)・・・・・・・阪口涯子

1981・1・17(土)  雪時 つづき

戦後の「長い口語俳句」のことを書かねばならぬが、その前に一寸と一休みしたくなった。

      アロン ④

だが、その転進しがけに、中佐の奥さんからジョニーウォーカーの黒一本をせしめて帰ることに
成功した私でしたから、この勝負は先ず五分にして頂きましょうか。

終戦前半年、この人のよい憲兵隊長は間嶋の隊長に左遷されて、その跡には新京の隊長
林大佐が隣家に移って参りました。

「前の白浜さんはお隣と大分眤懇だったらしいが、私達はそんな風には致しませんワ」と
女中さんを経てつたわる林夫人の言です。

だが栗毛の肥馬に跨って毎朝憲兵隊本部に出勤する、大兵の林大佐に出会うときは黙礼する
ことに私は決めました。

「危険な敵をつくるな」と私の心が私語(ささや)きます。
そのころ「天の川」でも涯子は赤いと誰からからく印をおされた、その単純な言葉がやはり矢張り
心の尾を引いていたのでしょうか。そのこと、「神ぞ知る」。


私は先刻の天皇のラジオを聴いた日も、平常通り、神戸から来たある婦人の往診しました。
というのはそこに写真用の青酸カリがあるのを私は知って居たのです。

「あの薬少し分けて呉れませんか」
「先生、戦争は済んだというのに何うしてその薬が要るの?」

それ程大連はのんびりした街でした。

「要るのは今からですよ」
私はひそかに青酸カリを用意しました。

台風の前のしづけさが一週間近く続きました。そして郊外の周水子飛行場にソ連の囚人部隊と
いうのが真先にやって参りました。

大連埠頭から通って居た老人の肺疾患患者が

「今日は一小隊程ソ連兵が埠頭にやって来ました。通訳の言うことには、兵隊には言い聞かせて
あるが、時計や万年筆を欲しがるかも知れぬから、そんなもの眼につかぬ所にしまう様にとの
ことでした」

と私に告げます。

「何んな兵隊ですか」

「それがイヤ、囚人部隊とかいうことでひどいぼろぼろの服装でして・・・只自動小銃だけが
ぴかぴか光ってました」

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  1. 2006/06/26(月) 07:23:05|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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