■阪口涯子の俳句

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●黒の回想 わが俳句遍歴 (87)


写真  ヤブガラシ&蛾  2006・6・22 
 


           

黒の回想 わが俳句遍歴 (87)・・・・・・・阪口涯子

      
1981・1・17(土)  雪時 つづき

戦後の「長い口語俳句」のことを書かねばならぬが、その前に一寸と一休みしたくなった。

      アロン ⑤

 敗戦前、私達はよく話合った。日本が敗戦する際の大連の運命は三つに分れる。
ソ連が這入る場合、国民政府が来る場合。中共が来る場合、その中、国民政府軍が来れば

返礼は一番ひどいだろう、ソ連が来てそのヒューマニズムに対した場合が一番被害がすくなくて
済むのではないかと。

現実にそのソ連兵がやって来る。絶望の、半ば好奇心に駆られていた、甘い私達でありました。

 その夜二階に寝ていた私は何か騒がしいので目を覚まして又白系の患者が来たのかと
窓をあけて階下をのぞいたのです。

外燈の円錐光のもとに、青ワイシャツの見知らぬ白系風のが三人、ソ連将校二人、
自動小銃をさげた兵三、四名が何かわめいています。

「何でしょうか」

「主人は居るか」

「ぼく主人ですが」

「一寸階下まで降りて来なさい」

玄関の扉をあけると瞬間、皆で私を取り囲みます。自動小銃がぴかぴか光っています。

「あなた誰ですか」

「ぼく医者(ドクトル)です・・・・・」

「ドクトル?」

みんな顔を見合せ不審げです。お互いにロシア語で暫く話合って居ましたが、
青シャツが私に尋ねます。

「ここに日本の大将が居るはずだが・・・・・」

私の顔はどうみても大将の顔ではありません・・・・・。一瞬私は迷いました。

「知らぬ」と言うべきか。

だが何れ翌朝はばれることであった。
隣家と私の医院は実はそっくり同型の建築なんです。

清朝末期の外務大臣の息子が建てたという、家具は全部上海から運んだという豪邸でした。
それは大広場にある中国銀行からの借家でした。

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  1. 2006/06/28(水) 09:27:23|
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