■阪口涯子の俳句

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●黒の回想 わが俳句遍歴 (89)


写真  宗旦槿 2006・6・28   庭にて(茶人宗旦が愛した槿とか?)
 


           

黒の回想 わが俳句遍歴 (89)・・・・・・・阪口涯子

      
1981・1・17(土)  雪時 つづき

戦後の「長い口語俳句」のことを書かねばならぬが、その前に一寸と一休みしたくなった。

      アロン ⑦
 翌朝から続々とソ連兵は大連に這入って来ました。
独逸出撃以来三年間屋根の下には寝たことが無いと云う襤褸の服を着て・・・・・。

 商店街も住宅街も深々と扉を閉めています。
夜は銃声が絶え間なく聞え、下層民たちの掠奪の歓声が埠頭の方から遠く夜陰に響いて来ます。

 私は赤十字旗を門の合歓樹にくくりつけ、玄関には「病院(ポリニッチ)」と
ロシア文字で大書きして、そのまゝ門を開け放しました。

裸のなるのなら何れ同じですもの。

それに私には妙な自信がありました。大連の白系数百名は殆んどみな私の知人だし、戦争中
彼らに決して私は悪くしなかったと云う、それで新しい闖入者に対しては、

私を「仲間(たわりしちー)」だと弁護してくれる人々に事欠かないという、
私は少し特殊な立場にあったのです。

夜毎私は医者の白衣のまゝベッドにはいります。
夕陽が沈むと又陰惨な夜が来る。牢獄よりも嫌な心の氷る夜が来ます。

ソ連兵が扉を叩く、難民たちが扉を叩く。

屋根裏の潜扉から、階下に靴音がする毎に私は女子供たちを屋根裏に隠します。

潜扉を襤褸切れの箱などでかくして。

そして私ひとり白衣をつけた能面の表情で彼らに応待する。
神聖な白衣、それを自己の方便に第二義的に使うことの善悪を私は論じて居られません。
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  1. 2006/07/02(日) 07:13:48|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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