■阪口涯子の俳句

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●黒の回想 わが俳句遍歴 (95)


写真  蓑虫と足柄平野 2006・7・8  S川岸にて
 


           

黒の回想 わが俳句遍歴 (95)・・・・・・・阪口涯子

      
1981・1・17(土)  雪時 つづき

戦後の「長い口語俳句」のことを書かねばならぬが、その前に一寸と一休みしたくなった。

      アロン ⑬

 入り口で銃剣のソ連兵がコツコツと靴音をたてる。
あまり多くを語れない。

私はピカタンファーや、葡萄糖を注射したりして再会を期します。
通訳には「心臓病だから毎日注射(オコール)が必要(ナーダ)」と
将校室に伝えさせる。


 翌日の往診鞄は、林さんの旧女中に捜させた「ブラックアンドホワイト」、
両切り煙草の「天壇」、それから当時はすでに中国語になっていた新聞、

私は書架からの秦大佐の「ソ連事情」、小杉放庵の「唐詩評約」、
ちり紙、薬品などではち切れる様でした。


 話を端折りましょう。
四、五日間の診療後に林さんも竹中さんも他の白系たちも特務機関から消えて
なくなったのですから。

 さて、隣家は今そんな名前では呼びませんが、ゲーペーウーの「たまり」と変わりました。

はじめの中は陸軍少佐(マヨール)や大尉(カピタン)が、しばらく経つと
日本語の解る、あるときは海軍服を着たりする政治部員たちが
幾家族も住む様になりました。

そのお蔭で暴民たちが近づかないので、私たちの隣組一同は、私の仲よしの白系、
グメニューク青年を通訳に頼んで少佐(マヨール)や大尉(カピタン)たちに、

時計や絵羽織や人形や陶磁器、さてはスプーン、フォークなどなどの
贈り物を致します。
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  1. 2006/07/14(金) 08:36:31|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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