■阪口涯子の俳句

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●黒の回想 わが俳句遍歴 (99)


写真  ラセイタソウ? 2007・7・17   散歩コースにて
  ●追記 ラセイタソウ改め「ヤブマオ」。yasukoさま、毎度感謝です!




           

黒の回想 わが俳句遍歴 (99)・・・阪口涯子

      
1981・1・17(土)  雪時 つづき

戦後の「長い口語俳句」のことを書かねばならぬが、その前に一寸と一休みしたくなった。

      アロン ⑰

 最早その頃は初期の混乱が一応おさまって総司令(コンメンダンツール)は
野戦のヤマノフスキー少将から軍政家らしいコズロフ中将に変わっていました。

私終戦当時、浦塩から来た水兵を治療した揚句、自動小銃を振り廻されて、
学生時代からの記念のウォルサムを掠奪されたり、

そして街では洋軍人が婦人のもんぺをくるりと剥いでソ連兵に献上したりという、
そんな出来事や噂も少なくなり、私の今はソ連語の片語で彼らの診察を続け、

そして南山麓一帯は在来の白系やソ連将校、ソ連軍属の巣になり、
白系の婦女たちはソ連兵と仲よくジープを駆って

血は水よりも濃いことを私たちにはっきり思いしらせ、
又南山麓の日本人は他に移動したり、或いはソ連人と同居したりしました。


街では「ソ連司令部(コンソンダンツール)」の赤旗の下に中共市政府が出来、
又その下請けに日本人労働者組合が出来上って、

日本人は却ってこの小児病的下部構造の下に怯々として生きたかも知れません。
街には北方からのぼろぼろの難民が肥汲みなどして栄養失調の顔をさらし、

小市民たちは路上にその衣類や家具や或いは饅頭(マントー)や煙草など売り、
デパートは大連四十年間の日本の富の蓄積である衣類や家具や骨董やピアノやダイヤや
薬品やなどなどなどの高級品の商品で充満されました。


人人は自家の財を売り、何がしかの軍票を得て、それを米や高粱(コーリャン)に換えました。
脅迫、つるし上げ、人民裁判、豚箱、政治の末端では総司令(コンメンダンツール)の
考えない行過ぎもありましょう。

しかし、私は語り古された、こんな暗い政治面のことをいまお話する積もりは毛頭ありません。

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  1. 2006/07/23(日) 08:05:32|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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