■阪口涯子の俳句

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●黒の回想 わが俳句遍歴 (118)


写真  シロバナサクラタデ  2006・8・29  近所にて



           

黒の回想 わが俳句遍歴 (118)・・・阪口涯子


 【 鞭とエール 】
     
1981・9・3(水) (つづき) 台風済洲島辺に停滞。曇天気温29、烈風。 うさぎ小屋にて。 
 
 だが僕にも、

      薔薇の坂にきくは浦上の鐘ならずや

の秋桜子の作品は矢張り美しく思える。

被爆という激しい現実が、この感傷句の背後にあるからだというのも
涯子のいつわりのない思いでもある。

 この作品は稍女性的であり、これに対し兜太の

      湾曲し火傷し爆心地のマラソン


は男性的であり、松尾あつゆきの自由律俳句、

      なにもかもなくした手に四枚の爆死証明


は美しいというより、むしろ悲痛そのものであるが、共に背後の重さ、
少し誇大的に云えば地球の重さの上にこれらの作品は存在している。


それがぼくらを撃つのではないか。

それは勿論言葉の芸術としての言葉を軽くみての発言ではない。
それとこれとは別次元の話である。

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  1. 2006/08/31(木) 07:22:21|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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■凍雪にジャズこぼれる星こぼれる廃墟■涯子


   写真  鶏頭  2006・8・24  近所にて

   『 北風列車 』 67 



 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (67) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
   Ⅱ 硬山のほとり              
                                       
     ● 蟻の街 つづき    昭和23年               
               
276     靴みがきアベックの高低大いに嘲笑う


277     パンパンの胸の谷間のいと少女なり


278     夜の街の雪よこころにしみひびき    


279     凍雪たどる漢を照らし去るジープ


280     凍雪にジャズこぼれる星こぼれる廃墟

  1. 2006/08/30(水) 07:38:54|
  2. ■ 『北風列車』 阪口涯子第一句集
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (117)


  写真  タラの花と実   2006・8・27 近所にて



           

黒の回想 わが俳句遍歴 (117)・・・阪口涯子


 【 鞭とエール 】
     
1981・9・3(水) (つづき) 台風済洲島辺に停滞。曇天気温29、烈風。 うさぎ小屋にて。 
 
 最近、北垣一柿が僕へ書いた私信の一部。

「水原秋桜子氏の訃をきいて多少ちがった感慨を覚えます。
私はいわゆる新興俳句運動の火をつけたのは秋桜子だと思っていますが、

火をつけておいてさっさと逃げるが如く足早に遠ざかって行かれたのは何故か、
近来になって自分は終始伝統を重んじてゆるがなかった

などといわれるのをみると釈然としないものを感じます。

つまり新興俳句運動に対しては功労者といわねばならぬと考えられ、
多くの青春を賭けさせておいて・・・当時の若者たちの・・・

たちまち反対側にたって裏切った人だ・・・

事実そうでもあるしといった感慨です。

「馬酔木」がどうなるかは存じませんが、時代がこうして変りながら、
何といってもやはり俳句も変って行くのでございましょう。」


 これはかつて、「天の川」編集部に深くたずさわった北垣一柿の感慨だ。
水原秋桜子のみならずと云うのは、これを読んでの涯子の感慨でもある。
  1. 2006/08/29(火) 07:27:14|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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■みそさざいそんな外套をきていたか■涯子


  写真   女郎花   2006・8・24  近くの畑にて  

   『 北風列車 』 66 



 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (66) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
   Ⅱ 硬山のほとり              
                                       
     ● 蟻の街 つづき    昭和23年               
               
273     みそさざいそんな外套をきていたか


274     みそさざい身もて黒鍵をたたくのか


275     みそさざいひとしわぶけば消えたまえ    

  1. 2006/08/28(月) 07:09:44|
  2. ■ 『北風列車』 阪口涯子第一句集
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (116)


写真   ススキ   2006.8.22   酒匂川近くにて



           

黒の回想 わが俳句遍歴 (116)・・・阪口涯子


 【 鞭とエール 】
     
1981・9・3(水) (つづき) 台風済洲島辺に停滞。曇天気温29、烈風。 うさぎ小屋にて。 

 日本短詩型の美の拠点とされる「空白の美」と「静態的風土論」。
それがおそろしく前時代的な空白の美、風土論だと言ったら、

多分、大多数の現代俳句人は、
お前は全然解っていないと反論するだろう。


その「空白の美」、「宿命的風土論」が涯子にも全然解らぬわけではない。

だがその「空白の美」と「風土論」が時代的なのかが現在の問題なのだ。

彼らは、空白の美や風土論の深奥に横たわる、
花鳥に勝るもの人生になしという一種のニヒリズムこそが

現代俳句の根底に存在する哲学だと断乎として主張し
反論するにちがいない。


が、それにしては現代俳句の実作は余りにも弱々しい唄声に過ぎないではないか。
現代のニヒリズム俳句とならば、その主流にそっぽをむいている。


パラドキシカルな、例えば、島津亮、加藤郁乎、
或いは現在の散文を句で描いてる藤後左右俳句あたりに却って
そのかすかな発芽の匂いを嗅ぐ。

パラドキシカルな、少数派。

つねに少数派が次の世代を担うというのは歴史の証明するところだ。
  1. 2006/08/27(日) 08:26:32|
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■こどくな烏君なきたればふる細雪■涯子


写真  左:胡瓜の花(大きさの比較の為摘んで置きました) 
     右:冬瓜の花   2006・8・22  朝畑にて

   『 北風列車 』 65 



 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (65) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
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     ● 蟻の街 つづき    昭和23年               
               
270     きん色の雲のましたに目つむる烏


271     こどくな烏君なきたればふる細雪


272     こどくな烏君なきやめば遠い潮騒   

  1. 2006/08/26(土) 07:14:38|
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (115)


写真  タイワンホトトギス  2006・8・22  裏庭にて



           

黒の回想 わが俳句遍歴 (115)・・・阪口涯子


 【 鞭とエール 】
     
1981・9・3(水) (つづき) 台風済洲島辺に停滞。曇天気温29、烈風。 うさぎ小屋にて。 

俳句史に全くうとい筆者だが、明治以降の俳句革命というのはオーバーで、
改革といった方がより正鵠を得た言い方であろうが、

自由律俳句を別格とすれば、虚子の写生句、新興俳句、
戦後の口語俳句の三つの改革をあげるのは暴論であろうか。


その後を継ぐもの、1980年代の俳句が、ともすれば静態的、
宿命的風土論に回帰しようとする大勢に抗しての


第四の革命が金子兜太の「海程」派その他で実現されて欲しいというのは
涯子の切なる願いであるが、

その肝腎の「海程」すら現在多少右顧左眄、足踏み状態にあるのでは、
というのは涯子の杞憂らしいが、

万が一にも杞憂でないとしたら<哀れなる老涯子>は
数年後やがて行くであろう地獄で、


誰に涙を流してその苦痛を訴えたらいいのであろうか。


 「口語俳壇」に対する今も変らぬ愛と憎しみを地獄の涯まで僕は持ちつづける。
  1. 2006/08/25(金) 06:41:06|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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■青氷雨純粋な死をささやくか■涯子


写真  白朝顔   2006・8・21   庭にて

   『 北風列車 』 64 



 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (64) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
   Ⅱ 硬山のほとり              
                                       
     ● 蟻の街 つづき    昭和23年               
               
267     青氷雨純粋な死をささやくか


268     襟たてて氷雨の息をはくはぼく


269     こどくな烏目路はきららの降誕祭    

  1. 2006/08/24(木) 07:45:40|
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (114)


写真  オクラの花   2006・8・22    畑にて


           

黒の回想 わが俳句遍歴 (114)・・・阪口涯子


 【 鞭とエール 】
     
1981・9・3(水) (つづき) 台風済洲島辺に停滞。曇天気温29、烈風。 うさぎ小屋にて。 

 ぼくは昭和十五年頃の「天の川」の第二教室で、そのころの新興俳人を
可なり広い意味に解して、楸邨、草田男以降を一人づつ紹介し置こうと思って
冒頭に加藤楸邨篇を「天の川」に書き送った。


「苦悶俳句」とこの二人が評されていた時代だった。

ところが、「天の川」編集部のすみ子さん(禅寺洞の二女)から、
ここは「天の川」ですからと云ってそれは突返された。

すみ子さんの背後には禅先生がいたに違いない。


そう云った「天の川」の唯我独尊や世界の狭さが
第二教室を書く涯子の熱意を急速に冷却せしめたのも事実だ。


あれを続けさせてもらえたら
「旗艦」「京大俳句」「土上」「広場」その他の当時の新興俳句史は
一つの体系をなして書き遺されていたかもしれないのだが・・・。

 すべては忘却の海の彼方にある。


「天の川」のこと、この回想録で少し書かせてもらったことは、
新興俳句末裔を自称する涯子のせめてもの慰めであり、

又すこしばかり責めを果たしたといった感慨でもある。
  1. 2006/08/23(水) 07:38:16|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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■さすらえり氷雨に帽子洗わせて■涯子


写真   挿し木4年目のランタナ  2006・8・21    庭にて 
 

   『 北風列車 』 63 



 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (63) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
   Ⅱ 硬山のほとり              
                                       
     ● 蟻の街 つづき    昭和23年               
               
264     さすらえり氷雨に帽子洗わせて


265     故郷喪失をまこと氷雨がささやくよ


266     氷雨田の雷炎えくれは硝子ばり    

  1. 2006/08/22(火) 06:10:52|
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (113)


写真  白萩  2006・8・19   大雄山最乗寺にて
 


           

黒の回想 わが俳句遍歴 (113)・・・阪口涯子


 【 鞭とエール 】
     
1981・9・3(水) (つづき) 台風済洲島辺に停滞。曇天気温29、烈風。 うさぎ小屋にて。 

 が口語の問題、リズムの問題は現在でも論議が打ち切られた
という訳のものではあるまい。
(何れこのことは後で述べる機会もあるだろう。)


俳句という短詩の性格についてぼくは先っきの第二教室でも、
俳句、短歌、自由詩の垣根の中には、或いはそれを散文の世界まで

押し拡げるとしても、矢張りそこには普通の日本人が住んでいるだけで、
特殊な俳句人というものが住んでるとは思わないと云った積もりだ。

特殊を固執しない普遍を、というのが、俳人格説など出る
ずっと前からのぼくの自論だ。

例えば芭蕉の『奥の細道』にしても、俳句作品という真珠の珠を
散文という糸で貫いた美しい首飾り。


俳句を書いた芭蕉との人格が二つに分れてるとしたら変なことになろう。
『源氏物語』以降すべて変なことになる。

この駄文「黒の回想」だって変なことになる。
ソンタグに従わずとも

「人間には批判の自由がある」

「自分の好みに従って無責任であることの自由」

があるはずだ。

その人間が書く俳句なのだ。

また散文なのだ。
  1. 2006/08/21(月) 07:15:41|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (112)


写真  黄昏のヒメジョオン  2006.8.13  散歩コースにて 



           

黒の回想 わが俳句遍歴 (112)・・・阪口涯子


 【 鞭とエール 】
     
1981・9・3(水) (つづき) 台風済洲島辺に停滞。曇天気温29、烈風。 うさぎ小屋にて。 

 その(三)は僕自身の性格或いは血液によるものらしい。

つねに、しづごころ無く放浪しつづけ、何でもみてしまわねばと
アフリカあたりまで彷徨したり、

有り無しの銭で株をもてあそび父の復讐戦をこころみて
殆んど恒に返り討ちにあってみたり、

僕という男は志つねに定まらぬ、酒その他を愛する賭博者型だ。

賭博者には賭博者につきものの仁義とかいうものもある。

禅先生の口語自然律をどこかに生かそうとして、
三形象論の山口聖二と組んで「鋭角」の前身「俳句基地」を発刊したのが
1954年(昭和28年)四月だった。


それは禅先生に対する、ぼくの仁義とかいうものであったかも知れない。
山口聖二の三形象論は最近も本人に尋ねたりもしたが、

以前からのリズム三段切れの論法から何処が革新されているのか、
頭らに博学、哲学的な彼に実作者のぼくは従いて行けなかったということだ。
三つの原因については一応ここで打切る。
  1. 2006/08/19(土) 07:55:51|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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■くろありのトロットおどるうらがなしや■涯子


写真   2番蒔き胡瓜の雄花    2006・8・13   畑にて

   『 北風列車 』 62 



 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (62) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
   Ⅱ 硬山のほとり              
                                       
     ● 蟻の街 つづき    昭和23年               
               
260     ねいもうに蟻にらみおう黒い店


261     くろありの雌が裳をあげ唄ふ


262     くろありのトロムペットの息たえだえ    


263     くろありのトロットおどるうらがなしや

  1. 2006/08/18(金) 07:05:30|
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (111)


写真  鬼灯(ほおずき) 2006・8・13   散歩コースにて
 


           

黒の回想 わが俳句遍歴 (111)・・・阪口涯子


 【 鞭とエール 】
     
1981・9・3(水) (つづき) 台風済洲島辺に停滞。曇天気温29、烈風。 うさぎ小屋にて。 

今年になって桑原武夫はNHKで

「俳句、短歌の作家は、戦争中、大政翼賛をいう文学報国会の
会員になりたがる人が多く、戦争協力に積極的であった。
しかも戦後新しい時代が訪れても、そのことに対する本当の反省がなかった」

のが「第二芸術」論執筆の一つの動機であったことを語っていた。

このことは今年の「俳句研究」五月号での八木原祐計も涯子論の文章に
引用していたが、そして桑原の第二芸術論は思いやりに少し欠けた

冷たい文章でもあったし、そしてたとえば草田男作品の例句にしても
彼の下’の作品を採りあげ、上’の作品をあげてるわけではないなどという
弱点はあったものの、


併し論はまさに正鵠を射ていたように僕には思われる。

第二芸術論の冷酷さがテレビで語ったように短詩型詩人の
風見鶏に対する桑原の怒りから発したものだとすれば、

それはそれなりに理解できるはずだし、
その第二芸術論を読んで、俳句から足を洗った若い優秀な人が
幾人も居たとも聞いている。

僕自身は俳句の鉢を大鉢にしたら桑原説に少しお答え出来はしまいかと
或いは錯覚したということです。
  1. 2006/08/17(木) 07:07:35|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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■くろありの街あかありはくるまにて■涯子


写真  塀の上のチョウセンカマキリ?3センチ    2006・8・5  近所にて

   『 北風列車 』 61 



 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (61) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
   Ⅱ 硬山のほとり              
                                       
     ● 蟻の街 つづき    昭和23年               
               
257     くろありの雌らかなしくトイレットへ


258     くろありの背にるいるいと数字を負い


259     くろありの街あかありはくるまにて    

  1. 2006/08/16(水) 08:43:13|
  2. ■ 『北風列車』 阪口涯子第一句集
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (110)


 写真  独活の実  2006・8・8  散歩コースにて



           

黒の回想 わが俳句遍歴 (110)・・・阪口涯子


 【 鞭とエール 】
     
1981・9・3(水) (つづき) 台風済洲島辺に停滞。曇天気温29、烈風。 うさぎ小屋にて。 

 現在の地点で回想すれば、僕が長い作品をかいた、
 そこには三つの原因があったように思われる。

 その(一)は戦後禅寺洞が口語自然律を提唱し、
それは結局は自由律への道程なのだが、

ぼくらはそれに反対しながらも四分五裂は自由律への道程なのだが、
ぼくらそれに反対しながらも四分五裂しながらもそれに従って
その方向での実験実証を重ねて行ったこと。

 その(二)は桑原武夫の第二芸術論に刺激されたこと。

ぼくが引揚げたころはすでに桑原説に対して俳壇から、
いろんなヒステリックな反論が出ていたわけであるが、

現実を盛るには俳句の鉢はこわれてしまうなどの桑原説に、
実践的に挑戦しようとの僕らの野望が存在したこと。


リズムを寛解し音数を多くしたら現実がより広く多く盛れるという
迷える信念が当時の僕にはあったわけだ。
  1. 2006/08/15(火) 06:16:58|
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■くろありの列一匹も笑わずに■涯子


写真   朝撮れ野菜   2006・8・14
左から、つるむらさき・ケール・ミニトマト・シシトウ・ピーマン・オクラ・茗荷・胡瓜

   『 北風列車 』 60 



 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (60) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
   Ⅱ 硬山のほとり              
                                       
     ● 蟻の街     昭和23年               
               
254     くろありの列一匹も笑わずに


255     くろありのかみつきそうなひげの群


256     くろありの雄ら芸文をさげすめる   

  1. 2006/08/14(月) 08:07:22|
  2. ■ 『北風列車』 阪口涯子第一句集
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (109)


写真  稲とヤマトシジミ  2006・8・8  散歩コースにて



           = 黒の回想 わが俳句遍歴 (109)・・・阪口涯子 =

 【 鞭とエール 】

     
1981・9・3(水) (つづき) 台風済洲島辺に停滞。曇天気温29、烈風。 うさぎ小屋にて。 

 それを飛び越え逸脱して作句することは避けたい気持ちに
ぼく(涯子)は只今なっている。

更に更にリズムを引きのばして行ったとしても、
その俳句の(或いはそれはもう俳句ではないとも言えよう)


人にうったえるものが、より深く或いはより広くなろうとは、
ぼくの実作の小さな経験からしても考えられないように思うと、

ぼくは昭和十八年には書いている。

それが敗戦後一年半を経て日本に帰ってから、
何うしてあの長い長い口語作品を書くようになったのか。

ゴビの砂漠で相撲をとるということは、
そこに土俵が無いという定型派からの揶揄の言葉だが・・・。



 ●nora註記。涯子さんは、はじめにご紹介した『阪口涯子句集』の中の「LONG之章」で
           昭和25年~33年までの、長い長いリズムの45句を
          書き残しています。

   その中からの2句です。

   門松の青さの兵のズボンの折り目の垂直線のかなしい街(32音)

   海峡はいちまいのハンカチ君の遺髪ぼくの遺髪をつつむ(30音) 
 

  1. 2006/08/13(日) 07:25:44|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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■黄色いパン群集の顔のごとくにある■涯子


写真   唐辛子   2006・8・8  近所の畑にて

   『 北風列車 』 59 



 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (59) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
   Ⅱ 硬山のほとり   つづき           昭和22年
                                       
                          
               
250     黄色いパン荘厳に盛られ暖雨の窓


251     黄色いパン群集の顔のごとくにある


252     黄色いパン自動車(くるま)の車輪よりゆがむ


253     黄色いパン幼きものも黙しかむ

  1. 2006/08/12(土) 07:47:22|
  2. ■ 『北風列車』 阪口涯子第一句集
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (108)


 写真  雨の中の百合の蕾(鉄砲か高砂か?)   2006・8・8  近所にて



           

黒の回想 わが俳句遍歴 (108)・・・阪口涯子


 【 鞭とエール 】
     
1981・9・3(水) (つづき) 台風済洲島辺に停滞。曇天気温29、烈風。 うさぎ小屋にて。 
そのことをぼく自身すっかり忘れていたのであるが、
北垣一柿がコピーしてくれたのをみて

改めて若かりし日のエネルギーを思いおこすのである。

当時の俳句リズム論といっても、それは九大文学部の羆三郎氏が、
(今は福岡大学文学部の教授とかきいているが)

「天の川」に書いたリズム論を全面的に踏襲したにすぎぬが、
それは相当長い論議であった。

単に結論だけをここに書けば、五・七・五を離れるに従って
俳句的匂いは希薄になる。


その俳句的匂いにリズムの上でどこで終止符をうつかということなのだが、
短長短のリズム形式の外に長長短の形式にしても

十三音内到る二十二音位を穏当とすべきか。

    (註)ー昭和十五年「天の川」に発表された羆三郎のリズム論は、
       僕の知るかぎりでは俳句最高のリズム論だ。
       都合ではこの回想録から離れて別途紹介してもよろしい。

  1. 2006/08/11(金) 07:28:58|
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■廃墟のほとり君らのみ肥ゆ鰤のごと■


写真  小鬼百合   2006・8・5  Hさんのお庭にて

   『 北風列車 』 58 



 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (58) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
   Ⅱ 硬山のほとり   つづき           昭和22年
                                       
                          
               
247     かの青き都市凝然と冬帽裡


248     九十九折坂雪ふりわれにとりでなし


249     廃墟のほとり君らのみ肥ゆ鰤のごと


  1. 2006/08/10(木) 06:59:36|
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (107)


写真  韮の花  2006・8・6 散歩コースにて
 



           

黒の回想 わが俳句遍歴 (107)・・・阪口涯子

             '''【 鞭とエール 】'''
      
1981・9・3(水)  台風済洲島辺に停滞。曇天気温29、烈風。 うさぎ小屋にて。 

 雲がいろいろな形をしていた美しい夏もおわり、洋種のさるすべりが台風の中に
烈しく火の粉を散らしている。


 戦前、いやむしろ戦中のそこはかとない想いを書きつづけて
この「黒の回想」を終りにしようと一応は思った。


だが戦後の口語俳句運動は、それは勿論今も続いているわけだが、
今一つ現代の本流を自称する現俳壇の前近代性に就いても、
もう少し書いておきたい思いがして来た。

 
  半年間ペンをおいていたが健康も持ち直したようだ。再びペンをとる。

  雲や台風狂乱のさるすべりも美しい。

  屋根をとどろかし崖で虎落笛を吹いてる台風さえ恐怖と共に美しい。

  俳壇は美しくない。


 戦争中、金鵄かがやく紀元は二千六百年、そしてカエウタ

「あゝ一億は皆困る」

タバコ欠乏の昭和十五年から「天の川」で僕は「第二教室」を受持っていた。
その当時、ぼくはリズム論や俳句の性格論を可なり沢山書いていた。
  1. 2006/08/09(水) 07:22:44|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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■鋲靴をはきさまよえば蒼い九州山脈■涯子



写真  鹿の子百合     2006・8・3  Hさんのお庭にて

   『 北風列車 』 57 



 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (57) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
   Ⅱ 硬山のほとり             昭和22年
                                       
                          
               
244     鋲靴をはき天地蒼茫たる飢えよ


245     鋲靴をはくアトラスひとりのみならず


246     鋲靴をはきさまよえば蒼い九州山脈

  1. 2006/08/08(火) 07:56:39|
  2. ■ 『北風列車』 阪口涯子第一句集
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (106)


写真  向日葵  2006・8・3  近所にて
 


           

黒の回想 わが俳句遍歴 (106)・・・阪口涯子

      

1981・1・17(土)  雪時 つづき

戦後の「長い口語俳句」のことを書かねばならぬが、その前に一寸と一休みしたくなった。

      アロン (24)

 日本降伏一周年の夜。

アロンはコーリャやミーシャたちと腸詰や卵や菓子や酒や
抱えきれぬ程小脇にしていそいそと帰ってきました。

これから楽しい水入らずの宴会だと言う訳です。

 卓上にその御馳走を一杯並べて乾杯乾杯。

少し飲んだメリーが腹に据えかねて啖呵を切り始めました。

 「ソビエトの大嘘つき奴!」


アロンもコーリャたちも目をみはります。


 「そうではないか。何もしない日本人の所にやってきてダワイダワイ。

一体ソ連と日本は戦争をしないという条約を結んでいたはずではないか。

日本の弱り目につけこんで一体何が勝利なもんか」


同座していたメリーの叔母さんや私の妻も


「そうだ、そうだ、約束が違いましょう。ソ連キレイでない」
とせめたてます。

「解ってる。それを言うな。そのことは自分たちもよく知っている」


アロンは今は懸命になって宥めます。

メリーは酒のせいか逆上して卓を引っくり返しました。

全くの盃盤狼藉です。その盃盤狼藉の中で、
アロンもコーリャも目に涙をためて、


 「解ってる。それを言って呉れるな」と頼みます。

スラブの純情を私は目のあたりに見せつけられました。
私たちの負けです。


それにしてもメリーの逆上は度を超えたものでありました。


私達あのころはみな頭が変だったのでありましょうか。


 (自註/これは昭和25年、古川克己氏の「俳句往来」創刊号に
  載せた旧稿に加筆したものである。)
  1. 2006/08/07(月) 07:39:58|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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■秋が来る石なげうてぬ女群れ■涯子


写真 ?ガウラと判明 (園芸種の植栽で見たことあり)  2006・7・28   開成町空き地にて

   『 北風列車 』 56 



 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (56) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
  Ⅰ 石の野原             昭和21年
                                       
                          
          ●赤旗の街  つづき
       


239     帰還未だしおろかな大地虫なける


240     秋が来る石なげうてぬ女群れ


241     秋が来るキリストの居ない曠野に来る


242     こおろぎの壁のみのこる聖なるかな




243     冬の航リュック一つの背を曲げあい

  1. 2006/08/06(日) 07:39:25|
  2. ■ 『北風列車』 阪口涯子第一句集
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (105)


 写真  風船カズラの花と蜘蛛   2006・8・3  近所の道端にて 



           

黒の回想 わが俳句遍歴 (105)・・・阪口涯子

      
1981・1・17(土)  雪時 つづき

戦後の「長い口語俳句」のことを書かねばならぬが、その前に一寸と一休みしたくなった。

      アロン (23)

 結局アロンとメリーの仲は天下御免だというわけで。その夜は次々話がはずんで行きました。
上官と部下のこの辺の所はスラブ的のびやかさが御座いましょう。

 
   アロン起きあがって唄います。 
   林檎の樹の下で
   明日また会いましょう・・・
   ・・・

 アロンと来たら唄まで日本のが好きで、メリケン風のジャズ唄は見向きもしません。
彼にはジャズすらも日本のはキレイなのです。


 アロンは語ります。

「プロレタリアート、昔はありましたが今のソ連にはありません。


ソ連のいい所、病気しても病院は無料、失業もありません。

只ソ連には併し自由がありません。

外国に行こうと思っても絶対にそれは出来ません。

ドクトル、東京に帰ったらみんなにソ連のやったことすっかり言って下さい。
掠奪(ダワイ)のことも・・・


アロンはいつかは空気抜きをあけたトランクに這入って文化(クルツール)の日本に
密航するのだと冗談を言います。

祖国を信じない気の毒なアロンでした。

  1. 2006/08/05(土) 08:08:59|
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■帰還未だし裸の大地月のぼる■涯子


写真   I子さんの田んぼとミソハギ。   2006・8・1 
(この四つ角の電柱に毎年冬「ニュウナイスズメ」が20羽もとまっていましたが、去年は一羽も来ませんでした。)
  

   『 北風列車 』 55 



 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (55) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
  Ⅰ 石の野原             昭和21年
                                       
                          
          ●赤旗の街  つづき
       


234     海越えん計白地の顔するどし


235     夏痩せてバラをかぎつつわらいこける


236     鉄壁あり青い海ありギスなく丘


237     ぼろぼろの日本を恋う三白眼


238     帰還未だし裸の大地月のぼる

  1. 2006/08/04(金) 07:19:14|
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (104)


 写真   夜のひまわり   2006・8・1  近所にて



           

黒の回想 わが俳句遍歴 (104)・・・阪口涯子

   
1981・1・17(土)  雪時 つづき

戦後の「長い口語俳句」のことを書かねばならぬが、その前に一寸と一休みしたくなった。

      アロン (22)

 コーリャとメリーと私とその晩は私の家で出所祝いなのです。

アロンは酒はいけないのですが、その夜は流石に少し飲んで嬉しそうに上気しています。


皆の話を総合しますと、留置所内でアロン少尉はコズロフに会わせろの一点張りで
何を問われても返事をしない。

そしてこれは本場もののハンストをやった相です。

コズロフというのは総司令官の威風堂々たる中将なのです。


憲兵隊でも根負けして、彼を中将の前に出して呉れました。

被征服民をいぢめるのはキレイでないと言う彼の言分をコズロフ中将は
微笑しながら聞いてくれた相です。


中将副官が別れ際に肩をたたいて、

「何うだタンクのアロン。このごろうまく行ってるかい?」


とこれもにやにやしたそうですから、アロンが日本娘と同棲していることも
上官には解っていたのでした。

(当時、ソ連将兵の他国民との結婚は禁じてありました。)

  1. 2006/08/03(木) 07:55:28|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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■郷愁がカンナの緋より濃きときよ■涯子



写真   紅蜀葵(コウショッキ )   2006・8・1   Hさんちにて

   『 北風列車 』 54 



 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (54) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
  Ⅰ 石の野原             昭和21年
                                       
                          
          ●赤旗の街  つづき
       


230     合歓の街ほおえみながら去りたいが


231     合歓咲いて漢らは鋭き目をあぐる


232     郷愁がカンナの緋より濃きときよ


233     蚊遣りして地上のものをみな失う


  1. 2006/08/02(水) 08:00:15|
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (103)


写真   ポーチュラカ  2006・7・28  近所にて 
  


           

黒の回想 わが俳句遍歴 (103)・・・阪口涯子

      
1981・1・17(土)  雪時 つづき

戦後の「長い口語俳句」のことを書かねばならぬが、その前に一寸と一休みしたくなった。

      アロン (21)

 大連、たかが植民地的風景にすぎぬ道路や建築や軽工業製品や
殊に埠頭の雄大さなどに就いて、彼らはヤポンスキーの文化(クルツール)に三嘆致します。

「クルツール」「クルツール」口を開けば「クルツール」です。

日本文化に栄光あれ!


殊にアロンの日本好きに到っては狂(マニヤ)の域に達すると申しても過言ではありません。
ある日のこと、浪速町で日本人がウイスキーを買ってる所にきあわせてた、

少し酒のはいった何とかスキー少佐は

「敗戦日本人のくせに生意気な・・・・・」というので、その日本人を蹴る殴る。

そこにアロン少尉が通りかかって、なだめても聴入れぬその少佐に

「俺が相手になる」と今度は逆にその少佐を引っぱたいて

日本人を逃がして終いました。

併し、アロン少尉はそのためソ連憲兵隊に捕まり上官軽蔑の罪に問われてしまいました。

「可哀想にアロンさんもシベリヤ行きらしい」

と私たち話しあって居ましたら三日程経った早朝アロンは私の家に飛び込んで参りました。

  1. 2006/08/01(火) 07:07:46|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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