■阪口涯子の俳句

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■ヴィオロンの音の絶えしみず氷る海よ■涯子


写真   茗荷の花   2006・7・29   20個収穫のうちの一個

   『 北風列車 』 53 



 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (53) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
  Ⅰ 石の野原             昭和20年
                                       
                          
          ●赤旗の街  つづき
       


225     氷る部屋赤い斑点の疫地獄


226     氷壁を攀じ寒流をみる人々


227     寒流やみな奪われし女に泡だち


228     寒流に銃ひびきゆきかえらざる


229     ヴィオロンの音の絶えしみず氷る海よ
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  1. 2006/07/31(月) 04:50:27|
  2. ■ 『北風列車』 阪口涯子第一句集
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (102)


写真   カワラサイコその後   2006.7.28    酒匂川にて



           

黒の回想 わが俳句遍歴 (102)・・・阪口涯子

      
1981・1・17(土)  雪時 つづき

戦後の「長い口語俳句」のことを書かねばならぬが、その前に一寸と一休みしたくなった。

      アロン ⑳

話の切目切目に「プロジット」とコップを底まで開ける。
半分残すのを非常に嫌うのには弱らされました。

そして長靴をがたつかせて膝など曲げたままのスラブ踊り。

話は主に、独ソ戦線の回想談です。

アロン少将は両手で壷の形を描いて、

「私のパパ。ユダヤ。こんな壷にお銭を一杯ためこんで大事に隠していたが、
ついに独逸(ニメツツ)の爆弾で死んでしまいました。ユダヤキレイでない」


 その独ソ戦線でアロン部下の戦車が四台焼かれ司令官に叱責されて

「では貴方がタンクに乗ってやってみられよ」

と逆捩を食わせて、到々司令官と喧嘩して中尉から少尉に下げられたのだ相です。
彼らはこちらがハラハラする程、上司や自国の政治面を批判します。

政治要員、陸軍憲兵、海軍のそれなど三つ巴にお互いに牽制されスパイされて
ともすれば明日は牢獄行きの人達なのです。


でも昔からの親しい友達同士のときは矢張り冗談を言います。
言ってはいけないことを言った対手を指さし、

「ファシスト!」

一方言った方は肩をすぼめ「言わ猿」の形に口に掌をあてる。


「ドクトル、シベリヤ のソ連農民の生活は支那(キタイ一スキー)の農夫や
苦力と同様(アジナコイ)です」

 総じてキタイスキー嫌いで日本人(ヤポンスキー)好きの彼等。
  1. 2006/07/30(日) 07:27:33|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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■藍衣着て都会の豚を刺すべきか■涯子


写真  ヒメジョオンと昆虫    2006・7・25   散歩コースにて

   『 北風列車 』 52



 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (52) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
  Ⅰ 石の野原             昭和20年
                                       
                          
          ●赤旗の街  つづき
       


221     白衣着て老子のごとく去るべきか


222     藍衣着て都会の豚を刺すべきか


223     凍魚の目もちてみまかる餓死といわれ


224     氷点下襤褸るいるいと動き去る

  1. 2006/07/29(土) 08:05:03|
  2. ■ 『北風列車』 阪口涯子第一句集
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■豚無数都市の肢体をむさぼれる■涯子


写真  ヤブミョウガ   2006・7・23  山北にて

   『 北風列車 』51 



 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (51) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
  Ⅰ 石の野原             昭和20年
                                       
                          
          ●赤旗の街  つづき
       


217     千万のりょうじょく鰯雲みはる


218     こおろぎよ寸鉄おびぬ幾万に


219     無政府の銃声花はくずれつぎ


220     豚無数都市の肢体をむさぼれる

  1. 2006/07/28(金) 07:17:53|
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (101)


写真  町のフジウツギ  2006・7・17  開成町にて



           

黒の回想 わが俳句遍歴 (101)・・・阪口涯子

      
1981・1・17(土)  雪時 つづき

戦後の「長い口語俳句」のことを書かねばならぬが、その前に一寸と一休みしたくなった。

      アロン ⑲

 メリーは二十二才の背の高いロシア語のうまい日本娘で、彼女が何うしてユダヤ女、
それも兎角の噂のあるトーシャの家に寄食していたのかは詳しいことは私は知りません。

 アロンは鉄火者ですが、それでもソ連のある高等工業電気科を卒業した、
謂わばインテリです。


そのアロンが、今は居ぬわけではないソ連娘や白系娘にひかれずに、
何うして髪の毛の黒い頬骨の稍突きでたメリーを好きになったのか私は解りません、

がみどりの黒髪は私たちがブロンドっを綺麗と思う以上に彼らには
異国的魅力的に見えるらしいのです。

ともすれば彼らは女や子供の髪に触りたがります。

私には少し遠慮して

「メリーさん少しキレイ」

と言っていましたが、自分は破れた靴をはいても、そう多くない月給から、

メリーには純毛の生地を購ってやったり、その頃少し出だしたコティーやビガンの
化粧品を与えたりしました。


 土曜の夜など彼らはよく会食します。
ハムや腸詰や塩鯖や生胡瓜、それに日本酒やウオッカ、

総じて簡単な食事です。
  1. 2006/07/27(木) 07:25:37|
  2. ■ 『北風列車』 阪口涯子第一句集
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■無蓋車の炎天飢えぬ母の子ら■涯子


写真  2006・7・20  バッタの子(ツチイナゴ?)  開成町にて

   『 北風列車 』50 



 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (50) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
  Ⅰ 石の野原             昭和20年
                                       
                          
          ●赤旗の街
       


213     無蓋車の炎天飢えぬ母の子ら


214     流離千キロ母の幼児らみな病めり


215     襤褸着ながら右も左も野分きながら


216     千万の劫略青き都市崩れ

  1. 2006/07/26(水) 07:39:41|
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (100)


写真  青栗  2006・7・17   開成町瀬戸屋敷にて



           

黒の回想 わが俳句遍歴 (100)・・・・阪口涯子

      
1981・1・17(土)  雪時 つづき

戦後の「長い口語俳句」のことを書かねばならぬが、その前に一寸と一休みしたくなった。

      アロン ⑱

 それで次に、あまり時間もありませんが、一年間私の医院に同居した
アロン少尉とメリーさんの話でも致しましょう。

 アロンとメリーがユダヤ女のトーシャの家を出て何して私の家に住みついたかを語ると
又ながいお饒舌りをしなければなりませんので省略することに致します。

 アロンという名はユダヤ系の名前ですが、彼はそれを東独逸に近い街に住んでいた
彼の父から貰いました。

独逸空軍のため小隊の戦車を四台焼かれたというので
中尉から少尉に格下げられたソ連将校です。


前額や片頬にその時の火傷の跡を印して、極く近くでみると軽い瘢痕があって、
そのため年令より老けてみえるが、小柄の目のきれいな二十四才の将校です。

私の家によく遊びに来た、これ上流の出らしいコーリャ中尉やチョビ髯のミーシャ少佐など
永年の戦友たちの言に、そしてメリーの通訳によれば

「タンクのアロン」という鉄火なニックネームは総司令部まで通っているとか。

いつも鼻唄を唄って、メリーに聴けばその日の出来事をみんな歌にするという
即興詩人風な若者です。


ある日私の妻がメリーと一緒に、ある寄席の大阪漫才に連れて行きました。

 日本人が「アハハ!」と笑うとアロンも矢張り「アハハ!」と笑う。

「アロンさん解るの?」

「解りません。みんな笑うので可笑しいのだろうと思って笑うのです」

しかし終りには

「マダム、帰りましょう」
  1. 2006/07/25(火) 07:49:27|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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■八重桜また仰ぐことありやなし■涯子


写真  2006・7・20  アキノノゲシの葉

   『 北風列車 』49 



 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (49) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
  Ⅰ 石の野原             昭和20年
                                       
                          
          ●解氷期  つづき
       


208     ぼたん雪鵲よまことにものいわず


209     刺繍靴のほとり凍海はてもなし


210     雪の旅崖をみしことのみのこる

 
211     八重桜また仰ぐことありやなし


212     深夜蟻をつぶしいたりき祈りつき

  1. 2006/07/24(月) 08:39:40|
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (99)


写真  ラセイタソウ? 2007・7・17   散歩コースにて
  ●追記 ラセイタソウ改め「ヤブマオ」。yasukoさま、毎度感謝です!




           

黒の回想 わが俳句遍歴 (99)・・・阪口涯子

      
1981・1・17(土)  雪時 つづき

戦後の「長い口語俳句」のことを書かねばならぬが、その前に一寸と一休みしたくなった。

      アロン ⑰

 最早その頃は初期の混乱が一応おさまって総司令(コンメンダンツール)は
野戦のヤマノフスキー少将から軍政家らしいコズロフ中将に変わっていました。

私終戦当時、浦塩から来た水兵を治療した揚句、自動小銃を振り廻されて、
学生時代からの記念のウォルサムを掠奪されたり、

そして街では洋軍人が婦人のもんぺをくるりと剥いでソ連兵に献上したりという、
そんな出来事や噂も少なくなり、私の今はソ連語の片語で彼らの診察を続け、

そして南山麓一帯は在来の白系やソ連将校、ソ連軍属の巣になり、
白系の婦女たちはソ連兵と仲よくジープを駆って

血は水よりも濃いことを私たちにはっきり思いしらせ、
又南山麓の日本人は他に移動したり、或いはソ連人と同居したりしました。


街では「ソ連司令部(コンソンダンツール)」の赤旗の下に中共市政府が出来、
又その下請けに日本人労働者組合が出来上って、

日本人は却ってこの小児病的下部構造の下に怯々として生きたかも知れません。
街には北方からのぼろぼろの難民が肥汲みなどして栄養失調の顔をさらし、

小市民たちは路上にその衣類や家具や或いは饅頭(マントー)や煙草など売り、
デパートは大連四十年間の日本の富の蓄積である衣類や家具や骨董やピアノやダイヤや
薬品やなどなどなどの高級品の商品で充満されました。


人人は自家の財を売り、何がしかの軍票を得て、それを米や高粱(コーリャン)に換えました。
脅迫、つるし上げ、人民裁判、豚箱、政治の末端では総司令(コンメンダンツール)の
考えない行過ぎもありましょう。

しかし、私は語り古された、こんな暗い政治面のことをいまお話する積もりは毛頭ありません。

  1. 2006/07/23(日) 08:05:32|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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■凍海の銀さびわたる野を愛す■涯子


写真  ヤブミョウガの花    2006・7・17  瀬戸屋敷にて 


    

   『 北風列車 』48 



 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (48) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
  Ⅰ 石の野原             昭和19年
                                       
                          
          ●解氷期  つづき
       


205     青枯るる編隊微光し微光しすぎ


206     凍海の銀さびわたる野を愛す


207     亜寒帯唇うすき吾子よくねむれ


  1. 2006/07/22(土) 10:07:05|
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (98)


写真  百合の一種  2006・7・17  開成町にて 

           

黒の回想 わが俳句遍歴 (98)・・・・・・・阪口涯子

      
1981・1・17(土)  雪時 つづき

戦後の「長い口語俳句」のことを書かねばならぬが、その前に一寸と一休みしたくなった。

      アロン ⑯

 「日本の憲兵隊長の跡がゲーペーウーとはよく出来てるネ」
などと洒落を言います。

運転手の水兵が煙草をくわえてると自分のポケットからライターを出して点火する。
運転手は平気でくわえ煙草の口を突き出します。

 「職制あって階級なし」

と私たちは屢々聴かされた、その国のきらびやかな言葉に過ぎぬかも知れませんが、
私は日本軍隊に見られなかった和やかな風景に目をみはります。

私は尋ねます。

「イワノフさん、医者は労働者のうちですか?」

「勿論、労働者です。併し・・・・・」と一寸間をおいて、

「インテリジー」

と彼は答えます。

智能労働者(インテリゲンチャ)の意味でしょうか。

私は何もイワノフ大佐の(その人は浦塩にいけば或いはマカロフ大佐であるかも知れない)
マルクスの弟子に成ろうというわけではありません。

「労働者の生命財産は保証する」

との当時の布告の意味を自分自身質してみたかっただけなのです。
  1. 2006/07/21(金) 06:58:51|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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■ちよろずのかなしみの雪ふる島あり■涯子


写真  ノコギリソウ    2006・7・19  散歩コースにて(夜7時半)

   『 北風列車 』47 



 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (47) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
  Ⅰ 石の野原             昭和19年
                                       
                          
          ●解氷期  つづき
       


202     ちよろずのかなしみの雪ふる島あり


203     彫ふかき眉目雷撃隊の冬


204     しずかにも大地青枯れいたりけり


  1. 2006/07/20(木) 08:51:31|
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (97)



写真  草の葉で作ったバッタ  2006・7・17  瀬戸屋敷にて(註・これはnora作ではありませんよ~)



           

黒の回想 わが俳句遍歴 (97)・・・・・・・阪口涯子

      
1981・1・17(土)  雪時 つづき

戦後の「長い口語俳句」のことを書かねばならぬが、その前に一寸と一休みしたくなった。

      アロン ⑮

 秋になって一人の大尉はブロンドの髪の、ふくよかな顔をした若い細君を連れて参りました。
この細君は暇だとみえて午後はいつも二階のベランダで日向ぼっこをしていましいた。

真赤な日本の長襦袢を着て白足袋をはいて何時もニコニコしています。
それが幾日も続くので、

「これは日本の寝巻き(エトヤポンスキーパジャマ)だからお止しなさい」

 彼女はうなずいて承知してくれるのですが、
翌日も翌日も矢張りそれを着て日向ぼっこを続けます。


石のベランダに金髪と赤い襦袢が秋陽にかゞやいて、それは憂愁に近い鮮明さでありました。
も一人の稍々年配の大尉の細君に、その子供の急性腸炎で夜、私は呼ばれたが、
浣腸のあと子供の尻を拭かなかったのには弱らされた。

だが困ってるだろうと言って米(リース)や砂糖(サッハル)を彼女たちは
塀越しによく私の家内に呉れたりしました。


 隣家によく黒塗りの自動車を乗りつける海軍大佐がある。
この平出大佐を想わせる押出しのいいイワノフ大佐は早稲田の聴講生だったとかで
日本語が巧みでした。
  1. 2006/07/19(水) 07:31:52|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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■楊柳湖眷属みんなちらばりぬ■涯子


写真  2006・7・14  実生初なり胡瓜2本

   『 北風列車 』46 



 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (46) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
  Ⅰ 石の野原             昭和18年
                                       
                          
          ●解氷期  つづき
       


199     楊柳湖眷属みんなちらばりぬ


200     燈管の円錐光にみしは蛾眉


201     天の川南北いくさ険しくして


  1. 2006/07/18(火) 07:28:16|
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■鵲のうた哀々ひびき青世界■涯子


写真 コンニャクの木肌  2006・7・14  Hさんの畑にて

   『 北風列車 』45 



 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (45) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
  Ⅰ 石の野原             昭和18年
                                       
                          
          ●解氷期  つづき
       


196     青台風鵲(かち)の紋章地に崩れ


197     鵲のうた哀々ひびき青世界


198     楊柳湖三日月光にさざなみたて



●追記 鵲(カササギ)のHP です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B5%E3%82%B5%E3%82%AE#.E5.88.86.E5.B8.83
 
  1. 2006/07/17(月) 08:14:05|
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (96)


写真  午後7時の稲  2006・7・14



           

黒の回想 わが俳句遍歴 (96)・・・・・・・阪口涯子

      
1981・1・17(土)  雪時 つづき

戦後の「長い口語俳句」のことを書かねばならぬが、その前に一寸と一休みしたくなった。

      アロン ⑭

金色燦然たる時計や鎖に少佐(マヨール)は眼をかがやかせて見入り、
隣席の大尉(カピタン)に、チラリと流し目を送って、いちはやくそれを自分のポケットに
しまいこみます。

私たちは日本酒や支那料理を貢物のほとりにどっさり持ち込みます。

 酔った一同は椅子を起って、「ウラー、スターリン」と杯(スカタン)をあげて叫びました。
これも酔った少佐(マヨール)は感極まって、

「この次にはソ連の日本人に関する政策に就いて詳しく説明する」
と言うのでした。

通詞のグメニューク青年も酔っぱらったので何が何だか解らない始末です。
少佐は英語が話せると威張るのですが、それが、

「アイ・アム・ア・イングリッシュマン」を幾度も繰り返す、その一点張りには私たちも弱りました。

が何れにしても会合は大成功で、周囲の日本人達は少し安心感をとり戻しました。

約束の数日後、私の家の広間いっぱいに近所の日本人を集め、
グメニュー青年を介して

「ソ連の日本人に対する政策を聴かして下さい」

と申込みましたが、最早酔っていない少佐(マヨール)は

「それは仲ゝ難しいことだから」

と許りで、到々その会合を流会させて終いました。
上司の司令を待たずにそんなこと勿論やれるはずはありますまい。

 
  1. 2006/07/16(日) 06:46:24|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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■静かなる解氷白楊(どろ)の木を佇たしめ■涯子



写真  オシロイバナ  2006・7・7~8   上・庭にて 下・川辺にて

   『 北風列車 』44 



 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (44) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
  Ⅰ 石の野原             昭和18年
                                       
                          
          ●解氷期
       


191     静かなる解氷白楊(どろ)の木を佇たしめ


192     赫い野のはんらん雁は空に折れ


193     蒙古風(もんくりふおん)潮騒なせり夜の地図に

 
194     盗汗裡むらさきはしどいいろの春を
       
  1. 2006/07/15(土) 09:01:45|
  2. ■ 『北風列車』 阪口涯子第一句集
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (95)


写真  蓑虫と足柄平野 2006・7・8  S川岸にて
 


           

黒の回想 わが俳句遍歴 (95)・・・・・・・阪口涯子

      
1981・1・17(土)  雪時 つづき

戦後の「長い口語俳句」のことを書かねばならぬが、その前に一寸と一休みしたくなった。

      アロン ⑬

 入り口で銃剣のソ連兵がコツコツと靴音をたてる。
あまり多くを語れない。

私はピカタンファーや、葡萄糖を注射したりして再会を期します。
通訳には「心臓病だから毎日注射(オコール)が必要(ナーダ)」と
将校室に伝えさせる。


 翌日の往診鞄は、林さんの旧女中に捜させた「ブラックアンドホワイト」、
両切り煙草の「天壇」、それから当時はすでに中国語になっていた新聞、

私は書架からの秦大佐の「ソ連事情」、小杉放庵の「唐詩評約」、
ちり紙、薬品などではち切れる様でした。


 話を端折りましょう。
四、五日間の診療後に林さんも竹中さんも他の白系たちも特務機関から消えて
なくなったのですから。

 さて、隣家は今そんな名前では呼びませんが、ゲーペーウーの「たまり」と変わりました。

はじめの中は陸軍少佐(マヨール)や大尉(カピタン)が、しばらく経つと
日本語の解る、あるときは海軍服を着たりする政治部員たちが
幾家族も住む様になりました。

そのお蔭で暴民たちが近づかないので、私たちの隣組一同は、私の仲よしの白系、
グメニューク青年を通訳に頼んで少佐(マヨール)や大尉(カピタン)たちに、

時計や絵羽織や人形や陶磁器、さてはスプーン、フォークなどなどの
贈り物を致します。
  1. 2006/07/14(金) 08:36:31|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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■樹氷咲き胸痛きまで黄土美し■涯子


写真  野葡萄の花?  2006・7・6   酒匂川にて
●追記 コアラさまから「エビズル」と教えていただきました。↓

   『 北風列車 』43 



 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (43) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
  Ⅰ 石の野原             昭和17年
                                       
                          
          ●霧氷 (二)
       


188     樹氷咲き胸痛きまで黄土美し


189     霧氷原映画が翳るよりしずか


190     霧氷原ひとの哀歓をいうべからず



  1. 2006/07/13(木) 07:45:13|
  2. ■ 『北風列車』 阪口涯子第一句集
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (94)


写真  イタドリ  2006・7・8  S川岸にて
 


           

黒の回想 わが俳句遍歴 (94)・・・・・・・阪口涯子

      
1981・1・17(土)  雪時 つづき

戦後の「長い口語俳句」のことを書かねばならぬが、その前に一寸と一休みしたくなった。

      アロン ⑫

階下の将校に目礼して、銃剣の二人のソ連兵に連れられて私は本館の二階に上ります。

「この人をみて下さい」

顔のハンカチを無造作に払いのけた私は、「アッ」と叫びました。
日本人!それも隣家に居た林憲兵隊長ではありませんか。

シャツ一枚で毛布にくるまっていた大佐もハッと青ざめた表情です。

肥馬に跨って悠々と出勤していた大兵倣岸な林さん。
日頃余り口をきかなかったその人でした。

私は心を落付けて聴診器をあてる。別に大した症状はない。

「いいえ何あに、眠れないのですよ。心臓が痛んで・・・・・」

心臓が痛むのは私にはよく解かります。私の心臓も少し痛みます。

痩身の人が隣の畳に矢張り寝そべっています。

みるとそれは竹中特務機関長ではありませんか。

二人は矢継早に尋ねます。

「暴動は起きていませんか」

「日本人は困ってるでしょうネ」

「食糧は?」

私は答える。

「・・・だけど日本人生命は大丈夫らしいですよ・・・何がお困りですか」

「ちり紙をお願いしたいのです・・・それから出来ましたら新聞を」

  1. 2006/07/12(水) 07:37:44|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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■凍虚空戦闘機群ちりばめられ■涯子


写真  ヤブカンゾウ  2006・7・6  酒匂川にて

   『 北風列車 』42 

 


 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (42) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
  Ⅰ 石の野原             昭和18年
                                       
                          
          ●駅にて (二) つづき
       


185     凍虚空戦闘機群ちりばめられ


186     瑠璃穹に氷滑少女ひるがえる


187     凍海の銀を枯野のはてにみたり


  1. 2006/07/11(火) 08:09:55|
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (93)


 写真  ひまわり&ミツバチ  2006・7・6
 


           

黒の回想 わが俳句遍歴 (93)・・・・・・・阪口涯子

      
1981・1・17(土)  雪時 つづき

戦後の「長い口語俳句」のことを書かねばならぬが、その前に一寸と一休みしたくなった。

      アロン ⑪

髪の毛の黒い痩せた小さな白衣の姿に彼らは怪訝な顔をする。
私は怯々とそして半ば思いあきらめた顔をして屋内にはいる。

二階のコンクリート床の上にそのままマットを敷いて白系たちが居る居る。
知った顔、知らぬ顔。

「ドクトル。神様のお蔭で飛んだ幸せだよ」

「フン!」

などと怒った顔、ジロリと私をみてそのまゝ窓外を向く絶望の顔。

 そんな白系たちの心音を聴いたり、階下の兵士たちの傷の手当てをしたりして
毎日私は暮らした。

ソ連衛生部隊などまだ大連にやって来ない頃のことです。


ある日の午後、私は特務機関を訪れます。
通訳は這入ったまゝ、私を待たせて仲々出て参りません。

やがて彼は街路をへだてた分館に私を連れて行く。
またその戸外に私を待たせて彼は仲々出てこない。

暫らく経って出てきた彼は、怪訝な顔で
「矢張り本館の方らしい」と私を連行する。
  1. 2006/07/10(月) 07:48:55|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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■凍夜の駅スピーカーの言葉しみわたり■涯子


写真  ひまわりと小田急電車  2006・7・6

   『 北風列車 』41 




 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (41) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
  Ⅰ 石の野原             昭和18年
                                       
                          
          ●駅にて (二)
       


181     凍夜の駅スピーカーの言葉しみわたり


182     寒波の夜苦力に遠い旅がある


183     青衣凍む駅のホールの絶壁に


184     綿襖のちぶさよひとの潮かげ  ・・・(nora註・元句通りです)


  1. 2006/07/09(日) 06:51:14|
  2. ■ 『北風列車』 阪口涯子第一句集
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (92)


写真  朝採れ野菜  2006・7・6  (ピーマン3個初収穫記念)



           

黒の回想 わが俳句遍歴 (92)・・・・・・・阪口涯子

      
1981・1・17(土)  雪時 つづき

戦後の「長い口語俳句」のことを書かねばならぬが、その前に一寸と一休みしたくなった。

      アロン ⑩

 私は相変わらず昼夜白衣の侭です。

前からの白系外に多くのソ連兵がやって来る。
今は医院と分かって、傷のつけかえや何かで次第に私は忙しくなる。
 
 すこし離れた旧特務機関は今はソ連の矢張りそれらしい所のなってたが、多くの白系の
男たちは戦争中の行動を一応調査されるので、そこに数多く監禁されている。

白系の女たちは、

「主人は血圧が高いです。無事で居るのかみて来て欲しい」

などと言って来る。

 炎天の下、無帽白衣で私は通訳と共に行く。
前の家のネクラソフ夫人が問う。

「何うしてドクトルは帽子をかぶらないの」

「白衣に似合う帽子があったら知りたいものですよ」

「それもそうネ」

桜広場の旧特務機関に近づくと、大型戦車が砲身を空の突き出したまゝ無数に街路を埋め、
ソ連兵は日本ビールを喇叭飲みにして歓声と共にその空き瓶を路上に叩き付けている。

四散する硝子の破片、音たてて微塵になればそれは白く美しくさえある。

  1. 2006/07/08(土) 07:48:08|
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■いっぽんの煙草を漢民族に貰う■涯子


写真  鳳仙花  2006・7・4   畑にて


   『 北風列車 』40 




 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (40) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
  Ⅰ 石の野原             昭和17年
                                       
                          
          ● 辺陲にて (二)
       


176     碧落もしんしん凍る木の下よ


177     冬天のもとの木椅子に寄らんとす


178     施療行冬木の繊さ天に描かれ


179     いっぽんの煙草を漢民族に貰う


180     黒衣満ち異邦の玻璃の天凍る

  1. 2006/07/07(金) 07:35:47|
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (91)


      写真  蘇鉄新芽 2006・7・2  畑にて



           

黒の回想 わが俳句遍歴 (91)・・・阪口涯子

      
1981・1・17(土)  雪時 つづき

戦後の「長い口語俳句」のことを書かねばならぬが、その前に一寸と一休みしたくなった。

      アロン ⑨

 深夜、見知らぬ白系と二人のソ連将校が酒気を帯びて闖入する。
妻子を屋根裏に隠して診察室に私は白衣のまゝ突っ立つ。

「何か御用で?」

「あゝここ病院(ポリニッツア)か、悪いことしないから心配しないでいいよ。サルバルサンあるか」

サルバルサンで済めばたやすいことです。
それを四五本与える。

未だ諦めきれぬ表情で歩き廻っていたが、二階を覗こうとはしない。
靴音高く彼らはたち去る。助かった・・・・・私はホッとする。

 翌朝起きてみると隣組全部が荒されている。

先隣外套など分奪り、その先の角屋敷では地下室かに三階の屋根裏まで足の踏み場もなく
引っくり返されている。

ストックの服地や貨幣などの獲物に狂喜した彼らは、そこで捜したウィスキーで再び気勢をあげて
次は路地裏を荒しまわり、夜明けがたに遂に私の友人の扉を叩き破れず、

深く酔いを発したのか翌朝友人が玄関の扉をあけると将校がウィスキー瓶を抱えたまゝ
大の字形にそこに寝ている。

「アッ」と驚いて友人は再び扉を閉す。

私の先隣りからの戦利品の外套がひらりひらり朝風に揺れてポプラ並樹に懸っている。
不謹慎だが私は噴き出してしまいます。
  1. 2006/07/06(木) 07:35:05|
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■十三夜地衣の世界も濡れいるか■涯子


写真  姫緋扇水仙  2006・6・28  庭にて

   『 北風列車 』39 


   
 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (39) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
  Ⅰ 石の野原             昭和17年
                                       
                          
          ●十三夜
       


173     楽を聴かずいまサルビヤもすがれたり


174     十三夜地衣の世界も濡れいるか


175     落葉の金粉が舞う地の果てめき

  1. 2006/07/05(水) 07:46:12|
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (90)


写真 竹煮草  2006・6・28  AM5時半・Y川岸にて



           

黒の回想 わが俳句遍歴 (90)・・・・・・・阪口涯子

      
1981・1・17(土)  雪時 つづき

戦後の「長い口語俳句」のことを書かねばならぬが、その前に一寸と一休みしたくなった。

      アロン ⑧

 深夜、遠くイーストエンドの寺児溝にざわめきが起る。銃声が聞える。
これがだんだん日出町、桂町に近づき、私の居る南山麓に近づく。

日本人の群集が慌てふためいて叫んで居る。
私の知人の声もその中に交って、もう跫音がきこえる。いけない。

日頃おそれていた寺児溝の苦力達の暴動らしい。
しきりに銃声がする。家を出るべきか・・・・・。

・・・・・だが何ということなしに一時間も経つとやがてもとの夜陰の静けさにかえる。
あわれな日本人達よ。
東端苦力街に起こった些細な物音に「すわ襲撃」とその隣の日本人街が騒ぎ出す。
この物音を又苦力の襲撃だと誤認してその隣街が騒ぐ・・・・・

一犬虚に吠えての諺通りである。
ソ連兵はそれを鎮めようとして空にむけしきりに空砲を放つ。

それに尚怖えて東大連一帯が一夜避難のために騒いでいるというナンセンスも起ります。
ナンセンスとは醒めてあとの批判に過ぎない。

ナンセンスの現実は良識(ボンサン)とみわけのつかぬ顔をしてやって来る。
それは永年の家庭をもち、婦女子と共にある男たち故の、

風にもおどろくあわれさであった。
  1. 2006/07/04(火) 07:48:59|
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■高粱がはてなし少女らの視界■涯子


写真  午前5時半・ツバメの子  2006・6・28

   『 北風列車 』38 



 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (38) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
  Ⅰ 石の野原             昭和17年
                                       
                          
          ●黒塗り船  つづき
       


168     高粱がはてなし少女らの視界


169     身のほとり青い廃墟と郭公と


170     碧落を来る郭公のうたはげしや


171     青高粱がこうと鳴る海はさびしいぞ


172     一輪車きしるは石の野原ゆえ

  1. 2006/07/03(月) 07:44:24|
  2. ■ 『北風列車』 阪口涯子第一句集
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (89)


写真  宗旦槿 2006・6・28   庭にて(茶人宗旦が愛した槿とか?)
 


           

黒の回想 わが俳句遍歴 (89)・・・・・・・阪口涯子

      
1981・1・17(土)  雪時 つづき

戦後の「長い口語俳句」のことを書かねばならぬが、その前に一寸と一休みしたくなった。

      アロン ⑦
 翌朝から続々とソ連兵は大連に這入って来ました。
独逸出撃以来三年間屋根の下には寝たことが無いと云う襤褸の服を着て・・・・・。

 商店街も住宅街も深々と扉を閉めています。
夜は銃声が絶え間なく聞え、下層民たちの掠奪の歓声が埠頭の方から遠く夜陰に響いて来ます。

 私は赤十字旗を門の合歓樹にくくりつけ、玄関には「病院(ポリニッチ)」と
ロシア文字で大書きして、そのまゝ門を開け放しました。

裸のなるのなら何れ同じですもの。

それに私には妙な自信がありました。大連の白系数百名は殆んどみな私の知人だし、戦争中
彼らに決して私は悪くしなかったと云う、それで新しい闖入者に対しては、

私を「仲間(たわりしちー)」だと弁護してくれる人々に事欠かないという、
私は少し特殊な立場にあったのです。

夜毎私は医者の白衣のまゝベッドにはいります。
夕陽が沈むと又陰惨な夜が来る。牢獄よりも嫌な心の氷る夜が来ます。

ソ連兵が扉を叩く、難民たちが扉を叩く。

屋根裏の潜扉から、階下に靴音がする毎に私は女子供たちを屋根裏に隠します。

潜扉を襤褸切れの箱などでかくして。

そして私ひとり白衣をつけた能面の表情で彼らに応待する。
神聖な白衣、それを自己の方便に第二義的に使うことの善悪を私は論じて居られません。
  1. 2006/07/02(日) 07:13:48|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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