■阪口涯子の俳句

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●黒の回想 わが俳句遍歴 (88)


写真 梅雨のノボロギク  2006・6・26



           

黒の回想 わが俳句遍歴 (88)・・・・・・・阪口涯子

      
1981・1・17(土)  雪時 つづき

戦後の「長い口語俳句」のことを書かねばならぬが、その前に一寸と一休みしたくなった。

      アロン ⑥

「憲兵隊長の家ならこの隣でしたが、隊長はもう居ませんよ」
彼らの眼は急に輝きを増します。将校の命令で自動小銃たちはセパードの様に

隣家へコンクリートの塀を乗り越えます。
やがて諍いに似た言葉、物の割れる響き、三十分も経って静かになったあと、たえだえに
聞える啜泣き。

周囲の家には一つの燈火もありません。
けれど恐らくみな一人一人聴き耳を聳てて居ることでしょう。

「言わねば宜かったネ」と怖えた妻や子供たちに私は申します。

翌朝訪ねると、隣家は老いた女中さん一人を残して既に退去して居ました。
事実隊長は既に居なかったのです。

物の壊れた響きは、隊長捜査の末、ストックのウィスキーを飲んで彼らが暴れた響きだったのです。
女中の話によれば夫人たちに怪我は無かったらしいので私は少し安心しました。

けれどあの遠い晩秋の蟋蟀の唄に似た啜泣きは、或いは一生私の心の翳りになるかもしれません。
それは譬え、憲兵隊長夫人としての驕慢が一瞬地響きたてて崩れ落ちた

その悲しみに過ぎなかったとしても。・・・・・

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  1. 2006/06/30(金) 08:31:40|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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■冬三日月に金管楽器吹きならす■涯子


写真 6月の紫鷺苔  2006・6・22  

   『 北風列車 』36 




 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (36) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
  Ⅰ 石の野原             昭和17年
                                       
                          
          ●北方にて
       


160     煙霧(ガス)銀灰くすしのあしたあるいは憂愁


161     雪の街龍頭しきりに巻くことあり


162     冬三日月に金管楽器吹きならす



  1. 2006/06/29(木) 06:45:40|
  2. ■ 『北風列車』 阪口涯子第一句集
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (87)


写真  ヤブガラシ&蛾  2006・6・22 
 


           

黒の回想 わが俳句遍歴 (87)・・・・・・・阪口涯子

      
1981・1・17(土)  雪時 つづき

戦後の「長い口語俳句」のことを書かねばならぬが、その前に一寸と一休みしたくなった。

      アロン ⑤

 敗戦前、私達はよく話合った。日本が敗戦する際の大連の運命は三つに分れる。
ソ連が這入る場合、国民政府が来る場合。中共が来る場合、その中、国民政府軍が来れば

返礼は一番ひどいだろう、ソ連が来てそのヒューマニズムに対した場合が一番被害がすくなくて
済むのではないかと。

現実にそのソ連兵がやって来る。絶望の、半ば好奇心に駆られていた、甘い私達でありました。

 その夜二階に寝ていた私は何か騒がしいので目を覚まして又白系の患者が来たのかと
窓をあけて階下をのぞいたのです。

外燈の円錐光のもとに、青ワイシャツの見知らぬ白系風のが三人、ソ連将校二人、
自動小銃をさげた兵三、四名が何かわめいています。

「何でしょうか」

「主人は居るか」

「ぼく主人ですが」

「一寸階下まで降りて来なさい」

玄関の扉をあけると瞬間、皆で私を取り囲みます。自動小銃がぴかぴか光っています。

「あなた誰ですか」

「ぼく医者(ドクトル)です・・・・・」

「ドクトル?」

みんな顔を見合せ不審げです。お互いにロシア語で暫く話合って居ましたが、
青シャツが私に尋ねます。

「ここに日本の大将が居るはずだが・・・・・」

私の顔はどうみても大将の顔ではありません・・・・・。一瞬私は迷いました。

「知らぬ」と言うべきか。

だが何れ翌朝はばれることであった。
隣家と私の医院は実はそっくり同型の建築なんです。

清朝末期の外務大臣の息子が建てたという、家具は全部上海から運んだという豪邸でした。
それは大広場にある中国銀行からの借家でした。

  1. 2006/06/28(水) 09:27:23|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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■プリムローズ震え咲く青衣の群れだるま■涯子


写真 ?  2006・6・22  近所の川岸にて



   『 北風列車 』35 



 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (35) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
  Ⅰ 石の野原             昭和17年
                                       
                          
          ●北方にて
       


155     プリムローズ震え咲く青衣の群れだるま


156     ぎんいろに煙凍て農夫ひしめける


157     亜寒帯鞭りんりんと身にひびき


158     息凍ることきよらなり怒り消ゆ


159     陽も凍り部落の西の壁よごる



       
  1. 2006/06/27(火) 06:19:48|
  2. ■ 『北風列車』 阪口涯子第一句集
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (86)



写真 ガク紫陽花・暗黒舞踏派  2006・6・22
 


           

黒の回想 わが俳句遍歴 (86)・・・・・・・阪口涯子

1981・1・17(土)  雪時 つづき

戦後の「長い口語俳句」のことを書かねばならぬが、その前に一寸と一休みしたくなった。

      アロン ④

だが、その転進しがけに、中佐の奥さんからジョニーウォーカーの黒一本をせしめて帰ることに
成功した私でしたから、この勝負は先ず五分にして頂きましょうか。

終戦前半年、この人のよい憲兵隊長は間嶋の隊長に左遷されて、その跡には新京の隊長
林大佐が隣家に移って参りました。

「前の白浜さんはお隣と大分眤懇だったらしいが、私達はそんな風には致しませんワ」と
女中さんを経てつたわる林夫人の言です。

だが栗毛の肥馬に跨って毎朝憲兵隊本部に出勤する、大兵の林大佐に出会うときは黙礼する
ことに私は決めました。

「危険な敵をつくるな」と私の心が私語(ささや)きます。
そのころ「天の川」でも涯子は赤いと誰からからく印をおされた、その単純な言葉がやはり矢張り
心の尾を引いていたのでしょうか。そのこと、「神ぞ知る」。


私は先刻の天皇のラジオを聴いた日も、平常通り、神戸から来たある婦人の往診しました。
というのはそこに写真用の青酸カリがあるのを私は知って居たのです。

「あの薬少し分けて呉れませんか」
「先生、戦争は済んだというのに何うしてその薬が要るの?」

それ程大連はのんびりした街でした。

「要るのは今からですよ」
私はひそかに青酸カリを用意しました。

台風の前のしづけさが一週間近く続きました。そして郊外の周水子飛行場にソ連の囚人部隊と
いうのが真先にやって参りました。

大連埠頭から通って居た老人の肺疾患患者が

「今日は一小隊程ソ連兵が埠頭にやって来ました。通訳の言うことには、兵隊には言い聞かせて
あるが、時計や万年筆を欲しがるかも知れぬから、そんなもの眼につかぬ所にしまう様にとの
ことでした」

と私に告げます。

「何んな兵隊ですか」

「それがイヤ、囚人部隊とかいうことでひどいぼろぼろの服装でして・・・只自動小銃だけが
ぴかぴか光ってました」

  1. 2006/06/26(月) 07:23:05|
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■子と並ぶ秋風にスープすするべく■涯子


写真  マルカメムシ 2006・5・25 夜明け前の散歩コースにて

   『 北風列車 』34 


 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (34) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
  Ⅰ 石の野原             昭和16年
                                       
                          
          ●帰郷記 つづき
       


151     子と並ぶ秋風にスープすするべく


152     ダーリヤくだつ群青海の弧を背負い


153     食甚下妻子ら食めり蚕のごとく


154     蜻蛉も人も双眼をふかれる秋

  1. 2006/06/25(日) 08:26:18|
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (85)




写真 「ふわふわ」なんだろう?花後の花殻   2006・6・21  近所にて



           

黒の回想 わが俳句遍歴 (85)・・・・・・・阪口涯子

      
1981・1・17(土)  雪時 つづき

戦後の「長い口語俳句」のことを書かねばならぬが、その前に一寸と一休みしたくなった。

      アロン ③
私は白系達が生活に困っているのをよく知っている。

「  薬   代      い  く  ら  で  す  か ? 」
(ウィ ーフィール   エン  ゾル  イヒ  ベツアーレン )

「この次でもいいですよ」

「でも、それでは私自分自身に恥づかしい」と、その年の早春、スリジコフ夫人が

生命から二番目の外套(シューバ)を売払ってやってきたこともありました。

「私外套(シューバ)を売りました。少し寒い。けれど大連えは本当はそれは要りません」

 だが、その日の彼女は少し涼しすぎるのでしょうか、馬鹿にはしゃぐのでした。

私が南山麓に居を構えた頃の憲兵隊長は白浜中佐でした。

永年の軍隊生活で頭が半ば以上禿げ上がった中佐は、真夏私が隣家に引越して
その挨拶に行った時、痩せっぽちの奥さんと一緒に、前庭でトマトの黄いろい花を楽しんでいる

夕刻でしたが、私の名刺を私の目の前であわただしく裏表ひっくり返してみて居られるのをみて、
この人は正直な人だなと思った記憶が今も残って居ます。

この幼年学校出の白浜中佐は、自分の同窓は殆んど大佐や少将になってると少なからず不平の
様子でしたが、他の軍人同様酒好きでして、そして他の軍人同様学校出が嫌いらしいのです。

私は隣家に居住したため、隊長の家族の主治医たる光栄(?)に浴して、時々隊長の家に出入り
したのですが、ある夜、碁を打とうといって隣家に招かれた所、中佐はかなり酔っぱらって居ました。

碁はどうでもいいらしい中佐が叫びます。

「コラ、学校出の自由主義者奴!貴様らいつも俺の前ではぺこぺこしているが、今日は自分の
思うこと、引っくくりはしないから、はっきり言ってみろ」

僕突然のことで弱りましたが、「いや、参りました」とか、いい加減の言葉で濁し、
方々の態で自宅へ転進しました。

  1. 2006/06/24(土) 09:07:16|
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■霧笛をききしずかに心かいいだく■涯子


写真 紫ポンポコリンの追加です。 2006・6・17  大倉バス停にて(花=アリウム・ギガス?)

   『 北風列車 』33 


 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (33) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
  Ⅰ 石の野原             昭和16年
                                       
                          
          ●帰郷記 つづき
       


148     霧笛をききしずかに心かいいだく


149     黒潮が皿の林檎にひびきやまぬ


150     霧笛をきき北に末子を恋いわたる

  1. 2006/06/23(金) 07:51:58|
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (84)



写真 さんざ調べましたが名前不詳  2006・6・20 (散歩コースにて、最近咲き始めました)

      ■追記 不明の花の名=ヒナキキョウソウ・帰化植物です。
          また、yasukoさまに教えていただきました。感謝~!




           

黒の回想 わが俳句遍歴 (84)・・・・・・・阪口涯子

      
1981・1・17(土)  雪時 つづき

戦後の「長い口語俳句」のことを書かねばならぬが、その前に一寸と一休みしたくなった。

      アロン ②

 「ドクトルは言葉はうまくないけど、只自分たちの感じをのみこんで呉れるから」と白系たちは
お世辞を言って下手な言葉を慰めて呉ます。彼らのお茶に私はよくよばれました。

白系のおばさん達は、私の末の子の名を覚えて、「これ、フキヲちゃんに」
と自家製のロシア菓子を呉れたりしました。

彼らとの会話、私は万事短詩形的節約で話し又その感覚で受取ったわけでもありました。
「ドクトルなんで悲しそうな顔しているの」とスリジコフおばさんは行きずりに聞く。

彼女は50才にほど近い、幼稚園の先生です。
家には頭山満翁などと一緒に東京で写した亡夫の写真が飾ってある。

レイテ沖海戦のときだったのだろう。

「南方の戦争、日本敗けれるのです」

「独逸はいけないけど、日本そんなに悪くないのではないか?」

「いや、とてももう駄目らしいのです」

二十歩ほど行きすぎて大声で私は叫びます。

「 何 う ぞ 今 の 話     他 の 人 に 言 わ な い で 」
(ビッテ シュプレッヘン ジー  ニヒト ワス イヒ エッツト シュプリヒト)

「外人と付き合いすぎるので目を付けられてる相ですから要心なさらないと・・・」と妻は言います。
私の隣家は実は日本の憲兵隊長の官舎だったのです。
  1. 2006/06/22(木) 07:33:18|
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■あめつちを青葉どよもし父あらぬ■涯子


写真 ミケちゃん  2006・6・14  散歩帰りに呼びとめられて・・・

   『 北風列車 』32 

 

 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (32) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
  Ⅰ 石の野原             昭和16年
                                       
                          
          ●帰郷記 つづき
       


144     あめつちを青葉どよもし父あらぬ


145     玄海の霖雨のくらさ白馬美し


146     かの岸に小さな顔をのこしたる


147     黒潮くらし魯迅選集を手にしたる


  1. 2006/06/21(水) 08:23:55|
  2. ■ 『北風列車』 阪口涯子第一句集
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (83)


写真「洋種山牛蒡の花」 2006・6・16 散歩コースにて



           

黒の回想 わが俳句遍歴 (83)・・・・・・・阪口涯子

      【 アロン 】

1981・1・17(土)  雪時

戦後の「長い口語俳句」のことを書かねばならぬが、その前に一寸と一休みしたくなった。

      アロン ①

 古川さん。あの当時の大連の混乱の相を書けとのことですが、引揚者の感情や記憶から一日も
早く卒業したい私にはそれは少し苦手なんです。

で西の涯の旧軍港、ではない、今はスベニール店きらめく謂わば新軍港の、その片ほとりの
草舎に全くの独りで、チクと焼酎を飲んだその酔いに乗じて、他愛ない与太話でもいたしましょう。

陰惨な話は私達沢山ですから、酔いに乗じてなるべく愉快にお饒舌りしたいものです。

 銀行屋さんの二夫婦と私達夫婦と一緒に天皇終戦のラジオを聴いて矢張り一人残らず死んで
しまえというわけではなく、戦争をやめるとの当然の話に何というわけでもなく

ラジオに黙礼したあとみんなでウイスキーグラスを挙げました。     
女たちは目をうるませてベーコンを炙りました。

解放された感じでしたが同時に渤海の真青い海と朝鮮多島海の泥いろの浪の連続が私の脳に
サッと流れ込みます。今更何うなるものでもありません。

私の医院は南山麓住宅街の中央にありました。この一帯は白系露人の巣であり、
また他の外人達や日本の実業家や高級サラリーマン達が住んでいて、

郊外の星ヶ浦と共に大連では一番異国的(エキゾチック)な街でありました。
私の患者は半ば以上は外人で私は心細い独逸語や、敗戦後は尚更いけない英語で
彼らと話ました。
  1. 2006/06/20(火) 08:25:56|
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■父病めりひとよりあまた蝶めぐり■涯子


写真 紫式部 2006・6・16  近所にて

   『 北風列車 』 31


 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (31) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
  Ⅰ 石の野原             昭和16年
                                       
                          
          ●帰郷記
       


140     父病めりひとよりあまた蝶めぐり


141     万緑のもとこんこんと口をあけ


142     父病めり鷺なく夜も口をあけ


143     つばくらのうた天に満ち父あらぬ


  1. 2006/06/19(月) 08:08:08|
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (82)


写真 タイトゴメ(?) 2006・6・10   真鶴半島にて



           

黒の回想 わが俳句遍歴 (82)・・・・・・・阪口涯子

11・29(土) 
追記
僕の捜していた、慕情のダイビング作品を北垣一柿が教えてくれた。

             ダイビング

        飛板を家蹠かむとき風満ちぬ

        大空を抱き一介の泡沫となる

        しじにとづシャオム水温十八度

        伯林ははろに乾けるニンフ起つ

        碧玉に逆鉾のびぬ雲の黙

 シャオムは独乙語の水泡。僕はシャウムと発音するが、それはどちらでもいい。
第二句目の「泡沫」はアワと読むのであろう。
僕は忘れていたが、これはベルリンオリンピックの句だ。例の「日本危し、前畑がんばれ」と
NHKがアナウンスしたオリンピック。ヒトラー全盛時のことだ。 それが映画「美の祭典」となり、
僕も感動して見た覚えがある。その映画を見ての作品であったのかと、
今更めて悟り、慕情の多力におどろくのである。
  1. 2006/06/18(日) 07:38:27|
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■スケート靴かかえ風雪泣くほかなし■涯子



  写真 「京鹿の子」 2006・6・10  真鶴半島・シュウラさんの鉢植え 

   『 北風列車 』 30


 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (30) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
  Ⅰ 石の野原             昭和16年
                                       
                          
          ●童女
       


134     かたかなの書き方もらい吹雪かるる


135     スケート靴かかえ風雪泣くほかなし


136     零下十九度烈風黒い瞳を吹きぬけ


137     桜草まだひらかない童女の壁



          ●童男


138     雪坂を童子の鋭声板にのり滑る


139     雪霏々と地からも湧くを板にのりすべる



  1. 2006/06/17(土) 07:09:53|
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (81)


写真 「スイカズラ」 2006・6・10  真鶴半島にて



           

黒の回想 わが俳句遍歴 (81)・・・・・・・阪口涯子

11・9(日) 曇  つづき
 その九月、「石楠」の金子麒麟草らの協力もあり大連の俳人多数、旧慕情宅に集り
追悼句会を行った、ぼくは、


        慕情逝き秋日のくらきことつぶやく

 この平凡きわまる追悼句の外に

        秋がくる石投げうてぬ女群れ

        秋がくるキリストの居ない曠野にくる

        帰還未だし裸の大地月のぼり

        帰還未だしおろかな大地虫なける

 おろかな地上の句を捧げたのであった。
      
  1. 2006/06/16(金) 08:26:33|
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■ビルの谷しょうじょうと鳴るよ肩を張れ■涯子



写真上「ひじき」 2006・6・10   真鶴半島にて
写真下「天草 」

『 北風列車 』29


 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (29) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
  Ⅰ 石の野原             昭和16年
                                       
                          
         ●凍河 (二) つづき
       


131     ビルの谷しょうじょうと鳴るよ肩を張れ


132     煤煙(ガス)垂れし街に脳裡に花なきや


133     瞳光り凍る都会を映したる


  1. 2006/06/15(木) 07:13:32|
  2. ■ 『北風列車』 阪口涯子第一句集
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (80)


写真「キリンソウ」 2006・6・3 開成町にて


           

黒の回想 わが俳句遍歴 (80)・・・・・・・阪口涯子

11・9(日) 曇  つづき 

肝臓の下端が季肋部にすでに硬く触れていた。病気は肝臓癌であった。
正常の肝実質細胞の小さい化粧タイルを奇麗に並べて造った床面のような構造が、

全く無政府主義的に乱れてモップのようにばん踞横行する癌細胞に変化する、
その道程を顕微鏡下に知っているものにとって出来うることは、

慕情は病気に対しても如何にして最後までの病苦を
少なくしてあげるかに過ぎなかった。

 かくて慕情は
「引揚船が来たら早く帰って福岡の病院で養生しましょう」
という僕らの慰みの文に素直にうなずきながら

末のお子さんの献身の看護のもとに昭和二十一年八月下旬の
よく晴れた朝、赤旗うずまく大連の街で永眠された。

新興俳句元老の死処として、一面ふさわしかったともいえようか。

慕情六十七才。

大連市大和町の煉瓦壁のささやかな逓信官舎で亡くなられた。

(終戦後は町名などすっかり変って、大広場が中山広場、朝日広場が朱徳広場、
大和町はたしか福岡街に変わったと記憶する。)

  1. 2006/06/14(水) 07:05:48|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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■海も河もしんしんと凍りわが喪章■涯子


 写真「竹煮草の花」 2006・6・9 開成町にて

   『 北風列車 』 28



 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (28) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
  Ⅰ 石の野原             昭和16年
                                       
                          
         ●凍河 (二)
       


127      凍河を越えいま荒蕪地の彼方を追う


128      海も河もしんしんと凍りわが喪章


129      ひと葬りぬ氷片浮ける蒼海のほとり


130      にんげんの死蔓草のごときものをのこし


  1. 2006/06/13(火) 08:10:38|
  2. ■ 『北風列車』 阪口涯子第一句集
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (79)


写真「青ホオズキ」 2006・6・9  開成町にて



           

黒の回想 わが俳句遍歴 (79)・・・・・・・阪口涯子

11・9(日) 曇  つづき

その後慕情は間もなく病臥された。
後任逓信医院長の中尾博士と僕が主治医であった。

只一人生活を共にしておられた末の男のお子さんが看護婦代りに、しまいには毎日
注射までされた。

日頃慕情は孤独をむしろ楽しむ人であった。少なくともそう見えた。
亡くなった夫人その他家族のことを慕情は話したがらなかったし、

僕も立ち入ることを勿論ひかえた。
女中をお世話しましょうといっても仲々聴入れては呉れなかった。

 耳の遠い慕情の耳に小メガフォンをつっこんで対話した。それでも通じないときは、
僕は筆談のペンを採り、慕情は口で答えるという風だった。

 「俳句はできませんか」

 「このごろは漢詩をやっています」などと。
  1. 2006/06/12(月) 07:21:47|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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■異邦的並木かがやきひと貧し■涯子


写真 「サクランボ」 2006・6・3  開成町にて
 

『北風列車』 27

 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (27) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
  Ⅰ 石の野原             昭和16年
                                       
                          
         ●辺陲にて (一)
       


123     異邦的並木かがやきひと貧し


124     瘋癲女女兵のごとく曳かれくる


125     落日頬に唖の看護婦唖の医師


126     曠野の夜盲目に瘡に圧され圧され


  1. 2006/06/11(日) 07:55:31|
  2. ■ 『北風列車』 阪口涯子第一句集
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (78)


写真 「蓑虫」 2006・6・3 開成町にて




           

黒の回想 わが俳句遍歴 (78)・・・・・・・阪口涯子

11・9(日) 曇  つづき
 敗戦後、鉄のカーテンの内側で勿論逓信局も、その医師も接収された。
街では、毎日、虎の威をかる日本人をふくめた一派によるフランス革命史もどきの

人民裁判や投獄、密告、献金、家財没収、住宅調整やその他食糧難、栄養失調、その他の
あらゆる犯罪などに僕らは埋められた。

人々は自分の部屋の壁をも警戒し小さい声で話さねばならなかった。
ボロボロな人は虚ろな瞳をたたえ背曲がって歩きまわった。

引揚船は、時々丘陵に登って望遠しても全然その姿を見せては呉れなかった。

 二度目の夏が来た。(昭和21年)ある日、西広場の向う側の人ごみの中をそうろうと歩く
黒衣の老人を僕は見た。

「慕情さあん」と呼んでみたけれど、そのころ益々耳が遠くて殆んど聾に近かった人には
それが聞えなかった。

  1. 2006/06/10(土) 06:43:43|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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■支那童子台風の街哭きよぎり■涯子


写真「犬柘植の花」 2006・6・5  ミケちゃんちの生垣にて

   『 北風列車 』 26 

 

 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (26) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
  Ⅰ 石の野原             昭和15年
                                       
                          
         ●ハルピン   つづき
       


117     支那童子台風の街哭きよぎり


118     バス来ると群集が駆ける髪なびかせ




119     雨ふる夜青衣の姑娘椅子にあり


120     雨ふる夜タンゴ踊りしかの売女 


121     蛾は壁にショパンの楽の露けしや


122     向日葵咲かせ我は詩にうえ愛に飢ゆ
  1. 2006/06/09(金) 08:49:12|
  2. ■ 『北風列車』 阪口涯子第一句集
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (77)


写真 「ユスラウメ?」 2006・6・3 開成町に



           

黒の回想 わが俳句遍歴 (77)



11・9(日) 曇  つづき

 慕情は富沢赤黄男の『点の狼』を大分熱心に読んだらしく、その句集の一句一句に日本語や
独乙語での批評や解釈が書き添えてあった。

赤黄男独特の句にはよく、spezifisch(特異なる)と書かれていた。
「・・・・・ああ水銀の重たさよ」には直截に「ネオンか」と書いてあったりした。

句を忘れているが、金魚と富士山の句は、金魚を雲と解してあったが、この辺は如何なものであろう。

 書きつらねて来て、女体解剖の句あたりが一番僕には残るわけだが、古賀春のセンスイ艦の
断面や天を指した海水着の少女のあるあの新鮮な絵をおもいうかべる。

もう一つの「ダイビング」の秀作、「・・・・・水泡(シャウム)水温十九度」の一連が今捜し出せない。
どなたかにご教示を願いたい。

  1. 2006/06/08(木) 08:37:39|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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■十字架のえんだとつづき雨そぼつ■涯子



写真・上 「?の花」 2006・6・1 近所の生垣にて
●追記 ①「ニオイバンマツリ」と分かりました。ハイジさまに教えていただきました。謝謝!
     ②【蕃】唐辛子。蕃茄=トマト。・・・検索結果です。茄子そのものではなく、ナス科でした。

追加写真・下「ルリマツリ」 2006・3・21 フラワーガーデン温室にて(アフリカの南原産)
     

   『 北風列車 』 25 


 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (25) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
  Ⅰ 石の野原             昭和15年
                                       
                          
         ●ハルピン
       


112     十字架のえんだとつづき雨そぼつ 


113     楡枯るる鉄の花輪ぞ地にあふれ


114     雨のドームにサラセンの星かぞえたる


115     「桜の園」の家ばっかりだ僕の旅  


116     パン硬し台風の天わが聴ける


  1. 2006/06/07(水) 07:32:23|
  2. ■ 『北風列車』 阪口涯子第一句集
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● 黒の回想 わが俳句遍歴 (76)


写真 「源平小菊」別名・ペラペラヨメナ・エリゲロン  2006・6・1 K駅近くにて



           

黒の回想 わが俳句遍歴 (76)


11・9(日) 曇  つづき

絵や俳句や漢詩や独乙語やその他映画や、慕情のディレッタンチズムは間口も広く奥行きも深かった。
そして寒い程の質素な生活のはるか彼方に慕情作品は芸術至上主義的に輝いていた。
敗戦の少し前、恐らくこの辺が俳人慕情の絶筆かと思はれる、飛行機雲を描いた句文を紹介しよう。

「高層寒冷の空氣にあたって機ガスが凝結して霧氷のように現出する洵に美麗なる帯雲である。
あるときは薄れ青みてその清冽孤高の姿をみてはまた戦の美しさを想ったりした。
帯雲の尖端をきって一点の飛機は白日の下に黒く輝いていた・・・。」

次に飛行雲という言葉が詩語でない、航雲或いは隼雲と名付けたらとの文章が続いていて、
次の句が載っている。

        
          隼雲にいどむ泥濘行は地上

          隼雲のとぎるゝときの雲青し

          飛行雲放たれ玉の児を挙げる


 この句文「鶉」に載ったのが僕の引揚時のメモ帳に書きのこされていたものだ。
「鶉」は先日も「三角点」の河内俊成から尋ねられたが一冊も持合せがない。

僕自身ひどく欲しいのだが、おそらく内地には渡って居まい。

 慕情のこの句文、いささかミリタリズムの匂い無しとしないが、句、文とも美しい。
泥濘行の人は軍隊ではなくて、孤高な生活者慕情その人であろう。

飛行雲と地上の孤独なるものとのへだたりが充分にうたはれているし、第3句目、ある俳人への
男子誕生の祝句だったはずだが、慕情俳句の真髄がそこにある。

僕のメモ帳には、

            柳絮ながれ鳥の紺の帯ながれ

            ぼうぼうと柳絮ふるえる夜の爆音

などがあった。
         
  1. 2006/06/06(火) 07:30:35|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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■霧氷林童女の門歯愛しく照り■涯子


写真 「アーティチョークの蕾」 2004・6・9 ハーブガーデンにて

   『 北風列車 』 24 

 
 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (24) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
  Ⅰ 石の野原             昭和15年
                                       
                          
         ●霧氷 (一)
       


107     霧氷林童女の門歯愛しく照り  


108     凍天に童女のたかき鼓動をきく


109     霧氷街なみだのすじののこりし寝



110     世の虚実霧の硅岩をよじいわず(ママ)    


111     冬山に少年と林檎かじりいる
  1. 2006/06/05(月) 08:05:41|
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (75)



写真「花菖蒲?」 2006・6・1 近くの田んぼにて

●タイトルの句は『北風列車』うしろから順に掲載しています。作品NO.310

          

 黒の回想 わが俳句遍歴 (75)


11・9(日) 曇  つづき

 その散歩のとき栄坊が、すぐれた俳句作家の顔は、どこかに秀でた所があると云いだした。
僕が、慕情の顔には大した特徴はないようだがと言ったら、

「いや、あの目だあの目だ。あの目は生優しい目ではないよ」。
その昼、ヤマトホテルのグリルで初めて慕情に会ってきた栄坊はしきりに感嘆するのであった。

なるほど、その高い額のもとの慕情の目はおどおどしているようにもとられ、時に放心とも、
時に鋭くもとられなくはないが、慕情の筆跡の、たくましいでもない、優しいでもない、するどいでも

ない、又そのすべてでもあるそれに似て、実に深い色の目であった。
そのとき、白夜に類する大連のながい夏の夕べをうたった慕情の句、


        二十一時の薄暮の青き花ちるか    慕情

 を僕が紹介すると「さくらさくら」の栄坊は馬鹿に喜んで「ああこれで大連に来た土産が出来た」
と繰返しいって新京に帰って行ったことがあった。

この「二十一時」の句、高屋窓秋全句集の「百句自註」のなかにもとりあげられている。
窓秋は

「なんという陰微な歌ごえだろう。この切なさに心をうたれた。かつて、日本では見られたことの
なかったものだ」

と言っている。

 晩年の慕情は、俳句よりむしろ漢詩をつくり、又小川芋銭張りの河童や寒山拾得の絵などを
書いていた。

又古句を幾十句も独乙語にほん訳したりしていた。
(診療のカルテを見ても独乙語は仲々ぼくらの及ばない達者さであったが)

それを外人に訂正してもらう役をぼくは引受けていたのだが・・・。

  1. 2006/06/04(日) 08:01:53|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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■クレヨン昼の街をかぎりなく頬に感じ■涯子


 写真 「マタタビの白い葉」 2001・6・3  丸太の森にて

   『 北風列車 』 23 



 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (23) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
  Ⅰ 石の野原             昭和15年
                                       
                          
         ●丘にて (二)
       


103     クレヨン昼の街をかぎりなく頬に感じ 


104     崖駆ける群描き居れば天渺々


105     喪列がゆく困憊の天のもと


106     北に海濛々と父子丘を駆ける

  1. 2006/06/03(土) 06:49:32|
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (74)


しゃしん 「ナンキンハゼの葉と昆虫」 2006・5・28 Y川にて

●タイトルの句は『北風列車』うしろから順に掲載しています。作品NO.311

         

  黒の回想 わが俳句遍歴 (74)


11・9(日) 曇  つづき

 また禅寺洞はいつか僕に「慕情さんの所まで行けば、もうその句が古いとか新しいとかは
いえるものではない」と洩らしたこともあった。

前にのべたが戦時中大連には官庁の命により、俳句統合誌「鶉」が誕生し、関東州の全俳人は
好むと好まざるに関らず、これに拠らしめられた。

この豆「俳研」は各派各説まとまりの付きにくい俳誌であった。
時々暗闘や明闘もあったが、終戦時まで、終始新興俳句側に相当の頁をさいてくれた点は、

そのころの内地俳壇のことを思えば大いに感謝すべきであった。

               
 慕情、涯子共選でその誌の超季欄を受けもってもいた。慕情はその俳誌の俳句講座の中で
古俳史を担当し、片うた、万葉から説きおこし、それが熱のこもった立派なものであったので

遂に「鶉」の輿論となって、ついでに現代俳史も慕情にお願いしようということのなってしまったが、
これは敗戦と共に消えになってしまった。


 昭和十八年だったかの夏の夕べ、僕は
「さくらさくらと小切手をむしる紳士」の仁智栄坊と大連の盛り場を散歩していた。

そのころ窓秋も栄坊も内地の戦時俳壇に背をむけてひそかに新京に暮らしていたので、
ぼくは時折りお会いする機会があった。

  1. 2006/06/02(金) 07:47:55|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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■トラホーム中隊手振る足振る夏天のもと■涯子


写真 「野蒜と水田」 2006・5・25 近所にて 

   『 北風列車 』 22 


 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 (22) 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。
  Ⅰ 石の野原             昭和15年
                                       
                          
         ●ある普通学堂にてうたえる
       


99      白癬(しらくも)一小隊美しい姑娘(くうにゃん)に引率され


100     トラホーム中隊手振る足振る夏天のもと


101     曠野童子その図画みんなくろし夏


102     施療群えんえんと愚かなり夏天

  1. 2006/06/01(木) 08:41:01|
  2. ■ 『北風列車』 阪口涯子第一句集
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