■阪口涯子の俳句

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

●黒の回想 わが俳句遍歴 (58)


写真 「帯化菜の花」 2006.4.26 近くの畑にて



          黒の回想 わが俳句遍歴 (58)


10・4(土) 晴  つづき




さて、『紺』の中から僕の好きな句を少し抜いてみる。



               豊津甲塚

         たんぽぽの野は傾きて墓標古る

         母を恋えば春陰いたるところにあり

         麦笛を噛みすててあり山河濃し


                季節を焚く

         わだつみに映る喪のあり返り花

         返り花人の世つねに夕映えす

         海坂に挿す花とせん返り花

         返り花葬のおもてうらにかな

スポンサーサイト
  1. 2006/04/30(日) 08:47:12|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

■山査子の花こぼれいる野は千里 ■涯子


写真 「ナガミヒナゲシ&ホタルハムシ」 2006・4・26 オオタカの餌場付近にて



   阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載しています。昭和13年、涯子36歳からの10年間の

   俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 ⑥ 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。


  Ⅰ 石の野原             昭和14年
                                       
                          
        ●丘にて (一)  義勇隊の少年たち 


23    鍬の柄の進軍の鍬のしろいひかり


24    頬みんな花びらなして北風に堪ゆ


25    少年ら夕餉の汁にみしは海


26    山査子の花こぼれいる野は千里    

  1. 2006/04/29(土) 05:53:34|
  2. ■ 『北風列車』 阪口涯子第一句集
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

●黒の回想 わが俳句遍歴 (57)


写真 「エンドウの花飛翔」 2006.4.26 よその畑にて






           黒の回想 わが俳句遍歴 (57)


10・4(土) 晴  つづき

 戦後「天の川」が復刊号を出したのが昭和二十二年八月、編集人は片山花御史、発行所は

門司市天の川会ということになっている。


禅先生はそのころは福岡のずっと西、糸島郡会相園村(疎開先)に住んで居られたはずだ。

復刊後も「天の川」は遅刊、休刊をくりかえしていたが、そして発行所も門司から戸畑に変わったり


していたが、その戸畑時代の「天の川」は、昭和二十三年から二十六年の間に

天の川文庫を四冊出してくれた。その一、が素光の『紺』である。二が一柿の『雲』、


三がぼくの『北風列車』、四が綾部王春の『多羅』である。

王春は佐世保在住の「天の川」の長老であったがその頃すでに病床にあり、やがて逝去された。

  1. 2006/04/28(金) 06:57:00|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

■丘陵のとびいろの膚に子を坐らしむ■涯子


写真 「藤」 2006・4・26  近くの民家にて

 
 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載いたします。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 ⑤ 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。


  Ⅰ 石の野原             昭和14年
                                       
       ●丘にて (一)                    
    

19    丘陵のとびいろの膚に子を坐らしむ


20    海昏れて乾草匂いわたるなり


21    たそがれのはたはた蠢き死にかがやく


22    青い屋根と硅丘陵を故郷となす  

  1. 2006/04/27(木) 06:26:04|
  2. ■ 『北風列車』 阪口涯子第一句集
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

●黒の回想 わが俳句遍歴 (56)


写真 「背高き菜の花」 2006・4・16 散歩コース・オオタカの餌場付近にて




           黒の回想 わが俳句遍歴 (56)


10・4(土) 晴  つづき

以前からこの一連、ぼくの頭の中に引っかかっていたが、今読み直してみると、矢張りそう思われる。
だが根元的なにんげんの悲しみが奥深く漂っていて素光はうまい作家だと思う。

昭和十五年頃、大連から一寸帰って来た時の話だが、何かの折、禅先生は
「一柿は刺身だ、素光はうま煮だ」とぼくに言ったことがある。

なるほど、なるほどと思って僕は聞いた。僕自身が何料理であるかは聞きもらした。


         子の兵は粉ひきのうたの夜も進軍

         粉ひきうた椋の夜風がたたらふむ

         星が冷え粉ひきのうたの澄んでくる


 この進軍は本当の支那大陸での進軍だ。父の「粉屋が哭いている」。いや哭いてはいない。
星空のもとの美しい唄声だ。


 『郷』一巻はこんな美しいうたに満ちている。ふるさとの歌が天成の美声でうたはれている。
涯子の悪声とは全く違う。第二句集『紺』に進もう。
       

  1. 2006/04/26(水) 08:05:12|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

■女医匂う白い労働をなげきつつ■涯子


写真 「源平クサギ」 2005・5・3 フラワーガーデン温室にて




 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載いたします。昭和13年、涯子36歳からの10年間の

 俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

               *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 ④ 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。


  Ⅰ 石の野原             昭和13年   
                                       
       ●女医                    
    

16    女医匂う白い労働をなげきつつ


17    漢民の体臭をいう夏手套


18    満州チフスをいい巴里の映画をいう

  1. 2006/04/25(火) 07:19:19|
  2. ■ 『北風列車』 阪口涯子第一句集
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

●黒の回想 わが俳句遍歴 (55)


写真 「ジャガイモの新葉」 2006・4・16  nora畑にて(3・7植え付け)




          黒の回想 わが俳句遍歴 (55)


10・4(土) 晴  つづき



            無名戦士の墓標

       黒き掌をあげて凍蝶大破せり

       凍蝶の絶えゆく瞳が没日みぬ

       凍蝶よ地はやはらかに昏れてゆく

       凍蝶のみふく風ふいて星ともる

 ここでは凍蝶即無名戦士であって、逆に戦場の無名戦士たちが凍蝶に名をかりて登場している
のでは無いようにおもわれる。


  1. 2006/04/24(月) 07:33:55|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

■曠原をゆくべく蒼い列車アジヤ■涯子


写真 「大根の花」 2006・4・12 Hさんの畑にて




   阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載いたします。昭和13年、涯子36歳からの10年間の
   俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

                  *ーーーーーーーーーーーーーーー*



   『 北風列車 』   阪口涯子作品集 ③ 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。



  Ⅰ 石の野原             昭和13年  
                                       

       ● 小盗児                     
    

10    燃えくずをあさりひろいぬ氷る池に


11    燃えくずをあさる腕の幼なすぎる


12    すばしこく物をかすめとることは善


13    赤い褲子(くんつ)破れて月をまだ知らぬ 


14    曠原をゆくべく蒼い列車アジヤ


15    黄沙のもと流離の人らくちずけあう

  1. 2006/04/23(日) 06:19:38|
  2. ■ 『北風列車』 阪口涯子第一句集
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

●黒の回想 わが俳句遍歴 (54)


写真 「スズカケのシルエット」 2006・4・16 開成駅前街路樹





          黒の回想 わが俳句遍歴 (54)


10・4(土) 晴  つづき



         大洋の瞳砂にあり燕去ぬる

        黒枠の汽車さかりゆきつばめいぬる

        骨壷をかかえつばくろつばくろ等(ら)

 「黒枠の汽車」は列車の最後の車両の、去りゆく後姿であろうか。「骨壷をかかえ」は飛燕の
白い腹のことであろうか。若かりし日から、彼の手にかかれば、ざっとこんな風に少し装飾的にもなる。

  1. 2006/04/22(土) 06:23:18|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

■衣しろく葬りのうたを曠野にひけり■涯子


写真 「アメリカハナミズキ」 2006・4・16  開成駅前街路樹


   阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載いたします。昭和13年、涯子36歳からの10年 間の
   俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

                *ーーーーーーーーーーーーーーー*


      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 ② 全作品332句 にNOをつけて順に掲載しています。

  Ⅰ 石の野原           昭和13年   
                                 
    
5    衣しろく葬りのうたを曠野にひけり


6    馬車きしり亡き子をおもう唄ゆるる


7    母かなし山彦うたをかえすとき


8    かささぎは流離を唄う霧にぬれ


9    曠野暮るけものの臓腑煮ゆる火と

  1. 2006/04/21(金) 22:57:50|
  2. ■ 『北風列車』 阪口涯子第一句集
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

●黒の回想 わが俳句遍歴 (53)


写真 「レンゲソウ」2006・4・12




           黒の回想 わが俳句遍歴 (53)


10・4(土) 晴  つづき


        鷗率て打瀬は白く白くくる              (昭和十二年)

        貝塚のひくくなりつつ打瀬くる

        しろがねの帆網南風に垂れみだり

        おほばこの穂よりもさみし打瀬の帆

 ぼくは打瀬(ウタセ)漁を知らないが、最近テレビでみた北浦の風を一杯はらんだ横長の
美しい帆船の、そんな漁撈法であろうか。

  1. 2006/04/20(木) 07:36:39|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

■ふぶく夜の異邦人私がいる茶房 ■涯子


写真 「帯化ケールのバベルの塔」 2006・4・16   畑にて

                *ーーーーーーーーーーーーーーー*

   阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載いたします。昭和13年、涯子36歳から10年間の
   俳句作品です。若き医師、涯子30歳からの満州時代は、このようにして書き残されています。

                 *ーーーーーーーーーーーーーーー*




      『 北風列車 』   阪口涯子作品集 ①  全作品332句にNOをつけて順に掲載いたします。



  Ⅰ 石の野原            昭和13年  
                                 
    
1    ふぶく夜の異邦人私がいる茶房 


2    ふぶく夜の扉の真鍮に独語する


3    煤煙(すす)の夜防寒帽の耳を垂らす


4    故郷喪失のミサ北風に流れいる

  1. 2006/04/19(水) 07:26:03|
  2. ■ 『北風列車』 阪口涯子第一句集
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

●黒の回想 わが俳句遍歴 (52)


●タイトルの句は『北風列車』の、うしろから順に掲載しています。(作品NO・332)

写真 「イノデ」=猪の手(羊歯の一種の新芽) 2005・4・17   松田山にて




            黒の回想 わが俳句遍歴 (52)


10・4(土) 晴 つづき


こんな時代の中で、瀬戸内海に面した九州の一角にあって、小川素光は十年一日のごとく
彼の郷土を詠ってきたのである。

新興俳句に於ける特異な存在と云えるだろうというような意味のことを書いている。
昭和六年から昭和十四年までの二百五十余句。


素光はその跋文で「今日自分が俳句文学を嗜好し、俳句を以って殆んど生活の全部となし得た
事は、その因る所は種々あると思ふが、我が祖父独笑居士の力が預って大であったと云ふ事を
断言して憚らない。

我が祖父は生前二十余年間夕照山の草庵に立て籠り、大蔵経八千五百余巻を三度繙き
遂に仏法の根源を極め、大蔵経抜抄以下一千余巻の著述をなして其の生涯を了へた。


云々と祖父を賛えその血統を賛えている。
そして彼は現在もその夕照山に住んでいる。

  1. 2006/04/18(火) 07:16:40|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

■北風列車その乗客の烏とぼく■涯子





            写真 「阪口涯子」 79歳


 阪口涯子の第一句集『北風列車』を転載いたします。
 昭和十三年、涯子36歳からの十年間の俳句です。

 若き医師、涯子の波乱の満州時代は、
 このようにして書き残されています。


   
  *-ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー*
  
 ●『北風列車』阪口涯子 昭和25年(1950年)刊 天の川文庫3

全作品を、親友井上光晴が編集発行の、『辺境』という季刊誌に、1972年3月、転載しています。
転載にあたっての、阪口涯子の文章も含めて、その全文を、載せます。


順は逆になりますが、文章を先にUPして、
『北風列車』 の書かれた経緯を
お読みいただくことにいたしました。

  *ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー*


 「 北風列車」を書き了ったのはいまからすでに二十五年前。
書きはじめたのは昭和十三年だから今から三十六、七年前の、満州事変突入後であった。

 その時僕は大連に居た。生来放浪癖につきまとわれている僕が大連に渡ったのは、実は昭和四、五年頃であったが、昭和十年から十二年までは、九州大学に帰って、その生化学教室で、生体内の癌の発生機序に就いて、僕はドン・キホーテ的冒険旅行を試み、無数の罪なきウサギやネズミを殺戮しつづけていた。

 科学という名のもとに、僕は利己的な学位取得という極めて利己的な醜い所業を続けていたわけだが、その虚しさに気付きいらだった果てに、しきりに何か創り書きたくなったのだが、書きたくなったといっても、その書く技術が僕にあるわけではない。

 只、学生時代、「天の川」の吉岡禅寺洞に就いて少し習いおぼえた、そしてそのころ既にそれから遠ざかっていた俳句という形式によってそれを書くより外はなかった。

 その頃の俳壇はホトトギス流の花鳥諷詠に反旗をひるがえし、より人間臭いものをと志向した、所謂新興俳句運動の、途半ばのころであったし、その運動も、二・二六事件以後、満州事変勃発時の暗い時代の影響をうけて弾圧されはじめた頃であり、

 研究室から昭和十二年再び大連に渡った僕が、何かを俳句形式で書くといっても、いつも国家権力におびえ乍ら、併し何かを書かねばならぬ、そんな時代が続いていた。

 「北風列車」の前半は、そんな時代の影響のもとで、途中何度かペンを折り乍ら書かれ、「天の川」に発表したものである。

 その後半は、ソ聯軍に占領された大連や、敗戦後一年半にして、同胞お互いに血を流しあった、地獄船ー永徳丸とかいった引揚船で郷里の軍港佐世保郊外に引揚た、その郷里を家庭の事情もあって、決して愛してはいなかった僕であったが、そんな場で書きつがれた。 

 その「北風列車」は天の川文庫3として、昭和二十五年に発表されたものであったが、発表当時、毀誉ほうへん、黙殺、いやむしろ黙殺の方が誉よりは多かった。

 俳句の骨法を心得て居ない、散文的だという形の上からの非難、進歩て的な顔をしながら随所に馬脚を表わしているという、ある種イディオロギストからの非難の方が、賞められるよりはむしろ多かった。

 その非難の大部は勿論当っていようし、僕は一度も自己を弁解したことはない。

 只、上京した井上光晴が「ガダルカナル戦詩集」の中で、前線兵士の生々しい詩と「北風列車」の前半のいくつかの俳句とを対比させながら、その小説は書き続けられているわけだが、そこに僕の俳句をいろいろ引用してくれたことは嬉しかった。

 僕の作品が単に物語の素材に使われているに過ぎないことは勿論承知の上である。
 ごく最近の光晴作品は、僕がこの二月まで数年間、船医になって海上をさまよい続けていたせいもあって、よく承知していないが、

「ガダルカナル戦詩集」は、僕が知っている限りの井上作品では、
「地の群れ」につづく彼の代表作だと思うし、その一素材になったということは、彼に勝手にフィクシアルに踊らされているに過ぎぬ訳ではあるが、俳句作りの僕としてはやはり、「アリガトウ」というより外はない。

 そして、このころ会うたびに僕の作品の堕落を言いつづけ、何だったら「北風列車」を「辺境」に載せようかと、この十二月、忽然と佐世保に現れた、そのときもそれを言った。

 「アリガトウ」と御礼の返事をするより外はない。

 井上光晴に堕落を責めつづけられながら、すでに僕は年老いた。


     旗に咳し砲に咳して白瀑布


 これも堕落かと、この十二月、飲みながら書いたら、「ウウン」と言って彼は返事をしなかった。

 詩は、俳句は、青春のなすわざに過ぎないのであろうか。

 鉄斎やピカソやカザルスのように美事に老いることは、詩人や俳人には拒否された道であろうか。


     
   1971.12.22  涯子記 (涯子・70歳、nora注記)

  1. 2006/04/17(月) 08:30:45|
  2. ■ 『北風列車』 阪口涯子第一句集
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

●黒の回想 わが俳句遍歴 (51)


写真 「メイちゃん」 2006.4.12  仙了川岸にて




           黒の回想 わが俳句遍歴 (51)

10・4(土) 晴 つづき

 小川素光のこと

 彼はぼくより二、三才年上であろうか。高校教師をとっくに辞め郷里の豊前に今も健在である。
『郷』と『紺』の二つの句集がある。『郷』は昭和二十三年刊、『紺』は昭和十四年刊。


ぼくらが昭和二十八年口語俳誌「俳句基地」を刊行したのと前後して「新墾」を発刊したが、
あとで「新墾」の主宰は友達の青木比呂さんにゆずったと聞いているが、このごろ「新墾」には
お目にかからない。続いているのであろうか。


最近の彼は、古川克己の「俳句ポエム」にその長老として作品をみせている。
『郷』の序文の中で禅寺洞は、詩魂のしづかなる歩行-(中略)たとえば適地にみのった果肉の
豊かな味であり、綿布のごとき厚みである。


「郷」は小川素光にのみ与えられた名であろうと云い、又棚橋影草は序文の中で、新興俳句が
開拓した領域に機械があり今日の生活があり、必然的に新興俳句は都会俳句になった。

  1. 2006/04/16(日) 08:15:04|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

★半開のみどりの蝶を夢みたる★ 涯子



写真上 「紫木蓮」 2006・4・7  Kさんのお庭にて
写真下 「紫木蓮」 2006・4・12  





         『 雲づくり 』  阪口涯子句集  

NO・12

        
              あとがき


 昨年頂いた家木松郎さんの『家城』に刺激されて、ぼくも句集を出したくなりました。

東京で立山那覇でと、家木さんと会ったのは指折り数える程の回数にすぎないが、

会うたびに家木さんに兄の匂いをぼくは感じてしまうのです。




で、生きているうちに『家城』と同じ装丁の、謂わば兄弟句集を出すことに決めました。

只、内容が家木さんの天から降って来たような珠玉俳句とは文字通り雲泥のちがいがあり、

ぼくの干からびた蚯蚓見たいな艶うせた俳句ばかりなので、

兄弟俳句と名乗るおこがましさは万承知の上ですが、これぼくの老廃の致すところとおゆるし下さい。


 金子兜太先生には「灰白のコスモポリタン」の身に余る名序文を書いて頂き、

金子皆子様からは『雲づくり』の好い句集名を頂きました。



旧「天の川」末期のぼくの第一句集『北風列車』果てるところ「海程」に老いを寄せての『雲づくり』。



 1976年(昭和五十一年)以降の作品を並べてみました。

ただし、「朱氏『冬旅』私版」は1974年の作で、そのライトモチーフの、「凍て空に太陽三個死は一個」の一句だけは「海程」版、

戦後作家シリーズ36『阪口涯子句集』に一度載せたものです。


ぼく、この十一月で、八十二才。これが最後の句集だとおもいます。


 出版に際して、編集その他万般の御骨折りを頂いた大石雄介さんと和子夫人に深い感謝の意を表します。



         1983年11月                           
                         著者



 阪口涯子略歴

 1901年(明治34年)佐世保市に生まれる
 現住所 佐世保市天神
 1926年(大正15年)医師となる
 1950年(昭和25年)句集『北風列車』
 1977年(昭和52年)『阪口涯子句集』(戦後俳句作家シリーズ36)

  1. 2006/04/15(土) 07:26:50|
  2. ■ 『雲づくり』 阪口涯子第三句集
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

●黒の回想 わが俳句遍歴 (50)


写真 「シロツメクサ」 2006・4・7  開成町にて


           黒の回想 わが俳句遍歴 (50)

10・4(土) 晴

 なんという莫大な俳句作品の量であろうか。ぼくのような、地方の一隅にひっそり生きようと決意
した者にさえ、これはなんという莫大な俳句大群のおそろしい囲繞であることか。

日夜蟻の大群が襲って来る。蟻でない昆虫にも会いたい。でもその時間がないという
持ち時間の少なくなった僕に残された手段は蟻の大群に全部門前払いを食わせねばということか。


自分自身が一匹の蟻にすぎないくせに蟻嫌いになってしまった涯子。
中央の蟻たちは、もっとエネルギーに溢れ、もっと美貌でもっとタフなのであろうけど。


莫大な蟻に襲われ、萎えた夏をおくり、彼岸花の炎も過ぎ、わが愛した西鉄ライオンズの裔、
西武ライオンズも遂に潰え十月だ。書きつづけねばならぬ。



 

  1. 2006/04/14(金) 07:31:43|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

★凍空に太陽三個死は一個 ★涯子


写真 「ハウチワカエデの花」=羽団扇楓 2006・4・12  ご近所の庭先にて



         『 雲づくり 』  阪口涯子句集  全作品 70句から掲載しています。(最終ページの作品です)
NO・13


           Schubert/Die Winterreise-----meine kleine-----


               朱氏「冬旅」私版





140P          凍空に太陽三個死は一個      


              瞳光り凍る都会を映したる
  


141P          凍空に花描きしをあざけるや




                                      
                                                 凍空に太陽三個死は一個




142P                 流氷あり一樹ありかぐわしきかな





                     半開のみどりの蝶を夢みたる





143P         夜の壁にライエルマンは還らざる





            鬼火もゆ悲痛は墓へ川は海へ




144P        紺の館紺の弔旗が憩えとよ




                                                  凍空に太陽三個死は一個
           




                      雲づくり----------畢

  1. 2006/04/13(木) 07:28:53|
  2. ■ 『雲づくり』 阪口涯子第三句集
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

●黒の回想 わが俳句遍歴 (49)


写真 「おかめ櫻の蕊&昆虫」 2006・3・21  フラワーガーデンにて



           黒の回想 わが俳句遍歴 (49)

8・17(日) 

 相も変らぬ冷夏。寝室に這入って、堪らなく暑くて腕時計を腕からはずす夜を、
ぼくは真夏日と自分自身で決めてるのだが、今年はまだ一回もはずしたことがない。

寒さの夏はおろおろ歩き・・・や、村の女は眠れない・・・の東北にならぬことを祈っている。
一昨日の終戦日、あの天皇のレコードを大連で聴いてから三十五年にもなるのか。

あのあと外地での恐怖の日々、略奪(ダワイ)時代のことはあとで又ふれることにしよう。
テレビに靖国神社は再々写し出されるが無名戦士たちの千鳥ヶ淵は何故一度も写されないので

あろうか。そして、時代にひどく敏感であった新興俳句の青年たち、その人たちは今は老いて
静かに自分の墓穴を掘り或いは自分の墓碑銘を刻みつつある。

ぼくの愛する若い世代の人たちよ、君らの感覚アンテナの角度は何人にもとらわれず君ら自身が
定めるべきではないのか。
ぼくは千鳥ヶ淵の一亡霊だ。

  1. 2006/04/12(水) 07:09:22|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

★辺地雪舞う殊にバキュームカーのまわり★ 涯子


写真 「大王松」 2006・3・11 南足柄市の民家にて       





         『 雲づくり 』  阪口涯子句集  全作品 70句から掲載しています。
NO・12


56      青銅塊われらうろうろ濡れている


57       辺地雪舞う殊にバキュームカーのまわり

        
58      雲母(きらら)の中に太陽埋まる梅林


59      長者原泣きながら原という緑野


60      灯の海冴えて遠いそこからまだ遠い


61      ジンジャー匂う千のみどりの旅をして


62      こおろぎの浪しぶきいる黒人女体

  1. 2006/04/11(火) 07:33:27|
  2. ■ 『雲づくり』 阪口涯子第三句集
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

●黒の回想 わが俳句遍歴 (48)


写真 「紫華鬘」ムラサキケマン 2006・4・  家の周りにて




           黒の回想 わが俳句遍歴 (48)

8・3(日) 晴 つづき

 文章は片山花御史、北垣一柿、前原東作、阪口涯子が書いている。
その前年の十二月の末にぼくは引揚げたのだが、今思えば軍靴をはいていたあのころは
まだ生気あふれている涯子であった。

「海程」に所属した北巣子はすでに世を去ったが、岩田秀芭というのは今の岩田秀一だ。
石橋辰之助の名がみえるのは、多分編集部の花御史が作品を特に頼んだのであろう。

 僕は考える。禅先生は何うしてこのまま進んで呉れなかったのだろうと。
この花御史から借りて来た「天の川」復刊号の禅先生の作品を見て更めてそう考える。

禅先生が自然律を称え出したのはそれから一年と経ってはいない。
翌、昭和二十三年の秋、ぼくは、禅寺洞、花御史に呼び出されて、福岡郊外の今津川の河口で
魚釣りをしている。

今津は海岸線に元冠の役の石るいが残存している所でまことに風光あざやか、
海も空も松も広重の版画にそっくりの所だった。

その海にそそいでいる今津川はそう大きい川ではないが河口は、かなり広々としていた。
実は今津赤十字病院(サナトリウム)の院長をしたいた勝屋ひろをが旧くからの天の川人で、
その人のお世話での釣り会であった。


三艘の釣り船を出して貰ったが、その一艘に花御史と風鼓とぼくが乗ったのだが、
その船の中で「何うして自然律なんて言い出したんだ」

ぼくの口調は少しなじり気味だったかもしれない。
「涯子よ、この美(うる)はしい自然を見よ、自然律とは此所から始まったのだ」

花御史の返事は全くのジョークに過ぎないが、それが本当に思はれるほど今津の自然は美しかった。
釣りは好きでない風鼓とぼくはまだ一匹も釣りあげないまま、河口の島に降してもらって酒を呑んだ。

 その夜勝屋邸でサナトリウムの患者たちを含めて二十名の句会があった。
その患者の気鋭の一人から

        こんとんとこんとんと光るのは深夜の西瓜

とは一体何を言はんとしたのかと、多分、そのころ「天の川」に発表したのであろうぼくの作品を
なじられたのを今も覚えている。

そのころの作品も今津で作ったまことに広重的うるはしい作品(?)もこの句を除いては
散逸してしまって覚えていない。

  <ずぼらな涯子>

  1. 2006/04/10(月) 07:59:04|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

★さんたまりあ憂いを分かつものを書け ★涯子


写真 「花韮の大合唱」 2006.4.7 庭にて





    『 雲づくり 』  阪口涯子句集  全作品 70句から5句づつ掲載しています。


NO・11


51      サンゴ礁いくつも円しまた暗し


52      さんたまりあかぎりなくふる雨天国


53      さんたまりあ十指こわれて直立して


54      ステインドグラスの碧をのこして灰地上


55      さんたまりあ憂いを分かつものを書け

  1. 2006/04/09(日) 08:55:17|
  2. ■ 『雲づくり』 阪口涯子第三句集
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

●黒の回想 わが俳句遍歴 (47)


写真 「レンゲソウ」 2006・3・28 近くの田んぼにて




           黒の回想 わが俳句遍歴 (47)

8・3(日) 晴 つづき


彼と彼のも一つ先輩格の萱島風鼓 (今も北九州に健在のはず)の二人は戦後「天の川」の
復刊号(昭22、8)から、経済的不如意のため何度かの長期休刊を繰返し乍ら
禅先生逝去直後の終刊号(昭和36)に至るまでのこの二人の縁の下的努力は大きい。

「天の川文庫」三としてのぼくの『北風列車』を出してくれたのもこの二人のおかげだった。

この文庫は一が小川素光の『紺』二が北垣一柿の『雲』三がぼくので四が綾部王春の何かで
終ってしまっている。

 「天の川」のこのセンカ紙復刊号には

              吉岡禅寺洞

         ぎしぎしも人も日に焦げ野にいきぬ

         麦の毛見にぎしぎし焔あげている

         ぎしぎしのほむら農地が足りないのだ


              石橋辰之助

         岸壁に手足総身びしょ濡れなり

         岸壁のほむらなす昼よこたわる

         疲れし眼閉じぬ岸壁かぶさりくる


              北垣一柿

         つゆぞらおもしまた子をしかったか

         子をしかるおろかさやあまだれやまず

         ちちはひとりで子らはみんな雨のうたを



              小川素光

         薊野の光るに茛ほしくなる

         薊みて石みて青い唾を吐く

         落日にシガーを焚いてゐる薊
         
 

              岡崎北巣子

         冬の壁だまれだまれと虚空より

         冬耕やしづかなる瞳と思へども

         咳すれば今日の切株柔らかき


              前原東作

         つばくろの離愁一片のそらのいろと

         死に近いひととこうもりの窓の辺に

         蛇うまれ菜園の土ふくらんだ


              岩田秀芭

         蝌蚪の眼の愕きわれの眼の幻(かげ)に

         蝌蚪の昼いきものはみな音を恋ふ

         蝌蚪の水かがやき幾日生き来たり


              幡谷東吾

         肉体の覚めざる紅がまだ足らぬか

         私娼と判るまでに見られていた心理

         得しは銭・女体へ朝の梅雨あらし


              阪口涯子

         鋲靴をはき天地蒼茫たる飢よ

         鋲靴をはくアトラスひとりのみならず

         鋲靴をはきさまよえば蒼い九州山脈
         

  1. 2006/04/08(土) 07:02:08|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

★翔けのぼるえびねの千鳥千鳥たち★ 涯子


写真 「蘭・デンドロの一種」 2006・3・21  フラワーガーデンにて





    『 雲づくり 』  阪口涯子句集  全作品 70句から5句づつ掲載しています。


NO・10


46      翔けのぼるえびねの千鳥千鳥たち


47      えびねの千鳥翔けいる都にはあらず


48      朱夏すすり哭く五月六月ナハブランカ


49      午前三時渇く咽喉ナハブランカ


50      朱夏すすりなく戦闘機みな斜めに着く


●追記  『雲づくり』 解説 金子兜太  の中に、「ナハブランカ」という造語の出来た場面がありました。

下に、一部を再転載いたします。


 涯子さんと一緒に那覇を訪れたとき、「 ナハブランカ 」 とときどき呟くのを聞いた。
カサブランカをもじっての那覇ブランカらしく、ホテルの窓から見わたす低い丘陵状の街は、
若夏(うりずん)のひかりのなかに灰白に熱く起伏していた。

私も<那覇白し>とか<白照街>などとメモしたほどだったが、白いというよりは灰白。
涯子さんはすぐにモロッコ北岸のカサブランカをおもいだしていたのだ。


       

  1. 2006/04/07(金) 06:25:42|
  2. ■ 『雲づくり』 阪口涯子第三句集
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

●黒の回想 わが俳句遍歴 (46)


写真 「道端に咲く野生スミレ」 2006・3・26 近所にて





           黒の回想 わが俳句遍歴 (46)

8・3(日) 晴 つづき



        みいくさに精緻の頭脳銃をうつ

        みいくさに学理は遠くなつてゆく

        みいくさに洋書の背皮がついてくる

        みいくさはラグビーの足で走らねば
                                 ーーー大学在学中召さるる人を送りて

これは多分十四年の作品であろう。


             海辺にて

        はまおもと遠くで戦さがあつてゐる

        はまゆふと出征の家がたそがれる

        うみくれて国旗がねむる墻にねむる

        網干して出征の家と白い夜と

        白い夜子らがあそんだ砂の上に

 そしてこれは多分昭和十五年の作品であろう。こんな「みいくさ俳句」などを書いた人が何うして
特高に調べられたのか僕には解らない。
それは当時の「天の川」編集人としてであろうか。

 鉄削る音を愛し、冬山の岸壁を好み、往時の花御史はどこかにレモンの香を漂はせ、
どこかはメルヘン的でもある。

戦争中には本職の鉄の仕事で満州の奉天に数ヶ月間滞在し、「南満晴れ陰」と題し七十九句の                       
戦争中の作品を残し、又昭和四十二年には、妻の急死を悼んで句集『運命』を上梓し、
八十句の追悼句のみの作品を書いているが、ここでは省略する。

戦後「天の川」で「口語俳句の基礎を求めて」誌上一ヵ年半にわたり山口聖二やぼくなどと論争
したことは何れまた後に書くであろう。が、この人など、戦中はもとより戦後禅先生が
口語自然律俳句を提唱後もつねにその運動の中枢に居た人だ。

今泉の廃墟と化した銀漢亭の跡地の前半分を教会に売り、後半分の土地に
禅寺洞邸を造ってあげたのも彼の努力だ(ぼくらもわずかだが喜捨をした)。

  1. 2006/04/06(木) 06:10:41|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

★水仙花十個あつめて雲づくり★ 涯子


写真 「ヒスイカズラ」 2006・3・21  フラワーガーデンにて



    『 雲づくり 』  阪口涯子句集  全作品 70句から5句づつ掲載しています。


NO・9


41      海はリキュールただ独りみたリキュールいろ


42       散りにしはロザリオ千鳥その翼


43      漁火の冬の水平苦しいのだ


44      夜の俘虜かもふかいえんじの海鼠かも


45      水仙花十個あつめて雲づくり


●注記  『雲づくり』の句集名は、涯子さんが金子皆子さんに依頼して決めてていただいたものです。nora

  1. 2006/04/05(水) 08:29:25|
  2. ■ 『雲づくり』 阪口涯子第三句集
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

★黒部ふかくて翡翠ひとすじ霧底に ★涯子


写真 「ミケちゃんちの櫻」 2006.3.26 ご近所の庭木




    『 雲づくり 』  阪口涯子句集  全作品 70句から5句づつ掲載しています。


NO・8


36      黒部ふかくて翡翠ひとすじ霧底に


37       ダケカンバ白い気管支を北に描く


38      ダケカンバ破片にあらず女体にあらず


39      標高二千北の霧には骨のうた


40      古典音楽のごとあけぼのの沈丁花

  1. 2006/04/04(火) 08:21:07|
  2. ■ 『雲づくり』 阪口涯子第三句集
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

●黒の回想 わが俳句遍歴 (45)


写真 「芙蓉の花殻」 2006・3・20 散歩コースにて



           黒の回想 わが俳句遍歴 (45)

8・3(日) 晴 つづき

             汗と工場

        鋼塊に旱の地の燻るもの

        汗ひけば誰かが歌を唄ひだす

             雪と工場  

        鉄のおと雪をずらしぬ鉄のおと

        扉を押せば器械の音が雪に触る             

             機械工作 

        鉄削る音じんじんと壁に集る

        鉄削る鉱油の香り尋常に
        

             重力工業

        クレーンの掌吊る重量を大と見き

        クレーンの掌放ちし灼けし鋼塊を
        
             「岩田屋」屋上  

        たそがれの子供は小鳥すべり台

        ネオン燃え博多の街にゆきたくなる

        海を見て煙草が欲しくなつて来た

        福岡は夕霧の裡降りようよ

        コーヒーが欲しい鉄塔のたそがれ             

             戦死 

        船を見れば父をおもふらし童眼の

        波を指す手を無電台の落日に

        落日に戦場の父いまは死したり
        

             スキー行

        木々駆り岩襞駆り駆りやまぬ

        雪の陽はさんさんとつめたい手足

『工人』は昭和十五年に出されているが、中の個々の作品が何時発表されたのか書いてないから
、それは解らない。が、この「戦死」のすぐ前に、昭和十二年十一月の空襲警戒警報の句が
あるからこの「戦死」の句は昭和十三年発表の作だと思う。

  1. 2006/04/03(月) 07:44:20|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

★黒部ふかくてミズナラ一葉ずつ落ちいる★ 涯子


写真 「コゴメヤナギ?」 でいいですか?コアラさま~オタスケを_! 2006・3・28 

 



    『 雲づくり 』  阪口涯子句集  全作品 70句から5句づつ掲載しています。


NO・7


31      猫の性器栗のごとくに雪上に


32      オリオンの母という文字猫世界


33      二坪に氷柱が垂れている揺り椅子


34      曲がる掃除器神はてんとう虫を先ず生み


35      黒部ふかくてミズナラ一葉ずつ落ちいる

  1. 2006/04/02(日) 07:38:57|
  2. ■ 『雲づくり』 阪口涯子第三句集
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

●黒の回想 わが俳句遍歴 (44)


写真 「木瓜」=ぼけ 2006・3・20 夕方、近くの公園にて



           黒の回想 わが俳句遍歴 (44)

8・3(日) 晴    


 ながかったダブル梅雨も去ったのか、昨日から晴天で蝉の声が賑やかだ。
昨日は斎藤直樹氏から、父三鬼を「京大俳句事件」や「新興俳句事件」のスパイとして
書かれた、小野昭三著『密告』に就いての経過報告書を頂いた。

この報告書広い範囲に配られたのであろうが三鬼スパイ説などてんで信用していない僕など
まで改めて『密告』を読まねばならぬような気になって、ややこしい。

片山花御史のこと

この人はぼくより少し若いが、彼の句集『工人』の後記に、その俳句生活は大正十二年
「天の川」投稿に始まると書いているから、俳句歴から云えば僕のずっと先輩だ。

ぼくが「天の川」に復帰したころすでに「天の川」巻頭グループの一人だった。
そして戦争中、影草盲しい、一柿、緘黙の人となり終ったころ、
北九州から出向いて「天の川」編集に大いに力を貸していたように記憶している。

彼は現在の北九州工大の前身、明治専門の出身で顕微鏡などでの鉄質の検査が
彼の仕事であったはずだ。

彼の句集『工人』は昭和十五年に出されている。戦争の最中だ。彼は新興俳句弾圧事件で
禅先生と一緒に何度も特高の取調べを受けた組だ。

年齢的に「天の川」の人たちが「京大俳句」の人たちよりも平均して少し上であったということも
「憲兵の前ですっべってころんじゃった」的作品を「天の川」が作らなかった
一因であろうかとも思う。

  1. 2006/04/01(土) 08:59:37|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。