■阪口涯子の俳句

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★凍蝶の金箔ひとつ自動車騒★ 涯子


写真 「木蓮のお相撲さん」=白鵬です! 2006.3.27 近所にて




    『 雲づくり 』  阪口涯子句集  全作品 70句から5句づつ掲載しています。


NO・6


26      ヘリや十字架あるいは零がかかっていた


27       鋭い言葉がポルトガルからこの海へ


28      凍蝶の金箔ひとつ自動車騒(くるまざい)


29      凍蝶の煙りそめたる午前九時


30      猫駆けるいちじくの葉を付けもせず

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  1. 2006/03/31(金) 08:19:14|
  2. ■ 『雲づくり』 阪口涯子第三句集
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (43)


写真 「茱萸の実の提灯行列」 2006・3・21 フラワーガーデンにて

●茱萸の名は「ナワシログミ」だそうです。yasukoさま特定ありがとう!


           黒の回想 わが俳句遍歴 (43)

7.27(日)  つづき  

以上第二句集『雲』を経て、その後一柿は「天の川」の口語自然律運動の波をさけて、
短詩運動などと、ぼくがながい作品を書いていた時代と略同じ時代に、一柿は一柿自身の
苦い経過をたどり、第三句集『炭都祭』では筑豊炭田の亡びをうたい

         炭都祭テレビがうつす雨もる家

第四句集『凡夫』では、曼珠沙華墓穴はとおい山にあり

 とすでに己れの墓穴をのぞいている。一柿七十才。最近「鋭角」誌にもぼくは北垣一柿論を
書いたことでもあるし一柿の項、後半をここでは割愛する。


この一柿も次に書く片山花御史も「吉岡禅寺洞」という一本を近々書きおろすやに聞いて居る。

ぼくはその愛読者に止まるより外ないが、御両所とも、ホトトギスを除名されて新興俳句の
大御所めいた存在になり、それにあきたらずして口語自然律、自由律へと

生涯のエネルギーを俳句求道の一ランナーとして消耗しつくし、そして蕩児のごとく
「天の川」のために全私財をなげうった 吉岡禅寺洞のその孤高の生涯を書いて欲しい。

  1. 2006/03/30(木) 07:27:11|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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★海には鷗寒い絣を織っていた★ 涯子



写真 「辛夷」 2006.3.28 近所の庭木、ブロック塀からはみ出して咲いていました。

●追記 「辛夷」改め・・・「四手辛夷」=シデコブシ
(tyさまに教えていただきました。謝謝!)

神前に供える玉串の「四手」に似ているそうです。
四手の名の付く木はいろいろあり「犬四手」「熊四手」などを見て知っています。



    『 雲づくり 』  阪口涯子句集  全作品 70句から5句づつ掲載しています。


NO・5


21      下北は海にただよう青い銅器


22       海には鷗寒い絣を織っていた


23      北岬青馬消える霧なくても


24      銀河もろとも莫大な罠揺れています


25      海豚も十字架も天にやさしくかかっていた

  1. 2006/03/29(水) 07:19:46|
  2. ■ 『雲づくり』 阪口涯子第三句集
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (42)


写真 「街に咲いた野生のスミレ」 名前不詳 2006・3・26




           黒の回想 わが俳句遍歴 (42)

7.27(日)  つづき  

 山口聖二が「俳句基地」(「鋭角」の前身)でこれらの句に石川淳の「焼跡のイエス」を想起し、
ぼくなぼくでさっきの「路次のうた」に安岡章太郎の「ガラスの靴」を想起したりしているのは、
聖二もぼくも、そのころは文壇のうごきに敏感だったせいか。

一柿の怒りは続く。
彼の「豆の殻」十七句の中から、


        豆の殻をむくきのうもきょうも腹だたし

        豆の殻をむく妻のためいきを我も

        豆の殻をむく父のいかりを子はしらない 

       豆の殻をむく明日はむくべき豆ありや

       豆の殻をむく農林大臣もむくか

       豆の殻をすてるきのうの殻の上にすてる

       豆の殻をすてるうずたかければまた怒る

       豆の殻るいるいと人を泣かしむる

 こらはもう一柿の美学でも修辞でも何でもない。
それをはるかに飛び越えた一柿の<いかり>そのものだ。

ぼくがこの一連を「缺点だらけの一柿の代表作」だと評したら一柿は苦笑するであろうか。

缺点だらけと僕が云う意味は、表現技法を心得つくした彼が敢てそれを無視して真実の
追求一本にしぼったという意味だ。

  1. 2006/03/28(火) 08:18:31|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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★ブーゲンビリヤ天から垂れる償いなし★ 涯子



写真 「ブーゲンビリヤ」 2006・3・21 フラワーガーデン温室にて




    『 雲づくり 』  阪口涯子句集  全作品 70句から5句づつ掲載しています。


NO・4


16      白魚遡るチェロ四弦の光のごと


17      ブーゲンビリヤ天から垂れる償いなし


18      月桃(さんにん)の白花弾痕にて咲きしや


19      若夏(うりずん)という居酒屋のこの白花


20      てんぐさ海にそよいでいるよ愚のかたまり

  1. 2006/03/27(月) 07:44:15|
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (41)


写真 「旅人の木」 2006・3・21 フラワーワーガーデン温室にて



          黒の回想 わが俳句遍歴 (41)

7.27(日)  つづき  



 この「銃後」を書いたころ、一柿はずっと「天の川」編集部に居たので新興俳句弾圧の気配を
すばやく察知していたに違いない。

この手の批判的作品を続けては書いていない。
そして昭和十五年だったか、大連から一寸帰郷して九大に立寄った僕に

「用心した方がいいですよ」と云ったことは前に書いた。

 北垣一柿は寡黙し踏晦し、戦争中は殆どペンを折っている。その踏晦の一編。

              めくわじゃ・りんぐらあ

              ー棚橋影草を咏うー  
  
         めくわじゃに血がある垂れて手をぬらす

         めくわじゃのさびしいいろを手にのせる
   
         めくわじゃをかたり蒼海をまぶたにする

         めくわじゃのつぶやきをひとりかみしめる

         めくわじゃは生きている人も生きている

           (註・ めくわじゃ・りんぐらあは九州有明海の特産三味線貝。影草の研究の対象)    

敗戦後沈黙の殻を破って一挙に噴火した彼の作品

               浮浪孤児

         孤児の眼が駅の日暮れをらんらんたり

         孤児奔放つねなぬ世のいのちとて

         ひしめきて人らふぬけよ孤児さえ生き

         孤児生きてあり人々きらをまとえるのみ

         孤児をみる悔恨ひとりびとりふかく

  1. 2006/03/26(日) 08:48:04|
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★大熊座洋上にありこわれない ★涯子


写真 「十月櫻」 2006.3.21(3月に咲いても、名前が「十月櫻」なんです)フラワーガーデンにて



    『 雲づくり 』  阪口涯子句集  全作品 70句から5句づつ掲載しています。


NO・3


11      大熊座洋上にありこわれない


12      すすき原ひくくなびけば海みえるよ


13      青渦めぐる陸の突出部をかなしむ


14      雪やなぎ候鳥ら鮮やかに傾(かし)ぎ


15      飛翔かな銀箔閉ざしいる早春

  1. 2006/03/25(土) 07:34:11|
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (40)


写真 「雪柳」 2006・3・21 フラワーガーデンにて




            黒の回想 わが俳句遍歴 (40)

7.27(日)  つづき  

                  銃後(一)

              一本の弔旗垂れ国土耕され

             野の光り農婦乳房をだいて生く

             遺児泣いて耕土の赫き辺におかれ

             ぼた山が野に聳ち人等還らざる

             炭塵が降りつぎ遺骨しろくかえる

 「 路次のうた」の叙情が、わずか二年後には時代の暗転をうつして、こんなにも批判的に変貌
せざるを得なかった、新興俳句の一断面新興俳句の敏感性をここに書き残しておきたいのだ。         

 それよりも少し時代はあとになるが、俳句の総合誌に火野葦平の「麦と兵隊」を銃後の
日野草城、東京三、も一人は白泉だったか誰だったか今は忘れているが、その火野の小説を
俳句にして発表した。

小説の一つづつの場面場面をつなぎ合わせて群作俳句にする。頼む方は兎に角として、
頼まれてそれを書いた人達は一体何ういう積りだったのだろうと大連で憤慨したことを今だに
覚えている。

北垣一柿は勿論そんな馬鹿な真似はしていない。
このリアリスチックな五句をみれば彼の立場の鮮かさも解るし、前の三名の甘さも解るはずだ。

新興俳句のエポックは今の「麦と兵隊」群作から起ったと平畑静塔が云ったとか、三谷昭がどこかで書いていたが、それは戦争想望俳句の発祥の地点をここに求めたということであろうが、

僕は「麦と兵隊」のナゾリ俳句、散文に跪く俳句の姿は新興俳句史の恥部であると思うし、
あの群作のために、俳句作りであることにひどく恥ずかしい思いをした新興俳句人も居たことを
ここに書いて置く。



   

  1. 2006/03/24(金) 08:11:56|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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★ポプラそよげりこの垂直の青ピアノ ★涯子


写真 「サンシュユ」=山茱萸 2006.3.21 フラワーガーデンにて



    『 雲づくり 』  阪口涯子句集  全作品 70句から5句づつ掲載しています。



NO・2


6      燃える月青い鼠が駆けねばならぬ


7       緑茶のまねば鬼も醒めない霧いちめん


8      曼珠沙華の金粉漂流者の愛だ


9      浪をたくさんきれいに書いて曼珠沙華


10     ポプラそよげりこの垂直の青ピアノ

  1. 2006/03/23(木) 08:10:36|
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (39)




写真 「水仙」 2006.3.20




            黒の回想 わが俳句遍歴 (39)

7.27(日)   

 北垣一柿のこと
 一柿は医学部を昭和九年に卒業しているから影草やぼくからそれは八年あとということになる。
白虹が去ったあと「天の川」の編集は影草や一柿が昭和七年頃からやっていたことになる。

はじめは影草が主で、まだ学生だった一柿が副ということだったのだろうが、影草が明を失い、
ぼくが福岡に帰っていた、昭和十年から昭和十二年頃は一柿を軸にして禅先生の二女すみ子や

九大の学生達の手でその編集はなされていたと思う。
その学生たちの中に、今鹿児島で「形象」を出している前原東作が居たことになる。
 
 一柿には、さっき書いた影草の句集『洲』と同じ装釘の『藻』をはじめとした最近出した『凡夫』
まで四冊の句集があり、すでに七十数号を重ねている月刊の小雑誌「俳句通信」がある。

 『藻』から

             たそがれは路次の子供の眸から来る

             落日が路次にのびつつらんざつな

             落日が子等の手足をよごしたる

             路次暮れて子等の世界が落ちてくる   (昭和十一年)

 一柿二十七歳の作品である。この純粋叙情の質の高さは他にくらべるものとてすくない。
当時山口聖子がこの一連の作品を激賞したとか聞くが、今もこの句を読めば、
一管のオーボエに托されたモーツアルトのメロディをきく想いが僕には湧く。

  1. 2006/03/22(水) 07:58:37|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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★前世は蝌蚪来世えびねの小さな花 ★涯子


写真 「 雪柳 」 2006・3・18  





    『 雲づくり 』  阪口涯子句集  全作品70句から5句づつ掲載いたします。


NO・1


1      砂をたどるみどりの魚に会いたくて


2      変異なし硝子のなかにジャムしたたり


3      生きづくり激浪その他すべては散り


4      前世は蝌蚪来世えびねの小さな花


5      八月長崎ひと折りたたむあむぶれら

  1. 2006/03/21(火) 08:08:07|
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (38)


写真 「日向水木」 2006.3.19 よそさまのお庭にて





            黒の回想 わが俳句遍歴 (38)

7.19(土)20(日)      「天の川」 つづき

彼はブラームスを愛していたが、この一連、構成ががっちりしていてそして渋い。
まさにブラームス的である。

「蝙蝠の空濃く」の「濃く」は上に続がっているのであろうか。
「濃く白亜吊られ」とも読めるが前者のニューアンスの方が強いようだ。
 
 蝙蝠が白亜の都市を吊しているような、そうでもないような構成は鳳作の作品あたりと較べて
随分と渋い。

「エホバがつくる街」はまだ未完成だと彼がうたう、その未完成の街の原型には福岡の街が
あったはずだ。それは彼の口から直接ぼくがきいたことだから間違いはないが、
そんな詮索はここでは無用。

半盲の影草が創った、モンタージュ風な蝙蝠が戯れいる白亜の美しい街、エホバがつくった
未完の理想郷が感じられたらそれでいい。

 影草句集『洲』は昭和十四年の二つの悲しい作品で終っている。

            二つの悲しみ

              禎子

         木瓜の緋がふくらみ母乳を享けて呉れた


              義子

         枝蛙ちひさな女王がゐない窓に

 彼はこの年相ついで二人の愛児を失っている。戦争中にぼくが大学で彼にあったことは前に書いた。その後彼は俳句を遂に発表しないまま、今から十数年前世を去った。

  1. 2006/03/20(月) 08:06:56|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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 句集『雲づくり』 解説 金子兜太


写真 「阪口涯子・79歳」 『航海日誌・黒の回想』扉の写真です。

 
        『 雲づくり 』  解説 


       灰白のコスモポリタン    金子 兜太


 涯子さんと一緒に那覇を訪れたとき、「 ナハブランカ 」 とときどき呟くのを聞いた。
カサブランカをもじっての那覇ブランカらしく、ホテルの窓から見わたす低い丘陵状の街は、
若夏(うりずん)のひかりのなかに灰白に熱く起伏していた。

私も<那覇白し>とか<白照街>などとメモしたほどだったが、白いというよりは灰白。
涯子さんはすぐにモロッコ北岸のカサブランカをおもいだしていたのだ。

「だからナハブランカさ。この感じが好きなんですよ」ー微笑を含んだ眼鏡の顔に、
いつもより稚気ありと見たのは私の僻目か。

 ホテルのロビーに同行の十名ほどが集って、沖縄でできた句を色紙や半折に好き勝手に
書いていた。

涯子さんはさっそく、「朱夏すすり哭く五月六月ナハブランカ」
             「午前三時渇く咽喉ナハブランカ」

などとつくって、まるでとっくにこの呼び名が確定しているような気軽さだった。
相変らず自由だ、と私はおもう。

涯子さんはすこし震えのきている手に力を入れて、それらの句を揮毫している。

熱く灰白の起伏がデイゴの朱花をいたずらに鮮明なものにはしない。
この起伏のなかにいると夜明けから咽喉が渇く。

<沖縄の痛み>がじわじわと滲んできて、ナハブランカは涯子さんの手のように震えていた。



 私はそれを見ていたのだが、そのうちに、この人に「航海日記」という名随想があったことを
おもいだした。

病院長だった涯子さんは、還暦を越えてその仕事を止めると、さっそく船医として
貨物船に乗り組み、数年を世界の海の上で過ごした。

海の好きなこの人は人生のいつのときかを海洋の潮のきらめきに身をただよわせて
過したいと願っていたのではないかとおもう。

日記は、そのせいか、のびのびと海を航く日日の自己内面を綴り、
あちこちの港との出会いを語っていた。

カサブランカもそのときのお気に入りの一つ。いや、一番のお気に入りだったにちがいない。

カサブランカ、ナハブランカ、と口遊むうちに、私はこれが涯子さん自身の
<熱く灰白な>心象と十分に重っていることを知った。

気付くと、向こうには家木松郎さんがいるではないか。
松郎さんも、直立感のあるしゃんとした姿勢で涯子さんの筆の動きを眺めている様子だった。

私は、この松郎さんと涯子さんを並べて考えることが多いのだが、お二人とも医師で、八十代、
松郎さんのほうがすこし年長である。

松郎さんは北陸の立山町に住み、涯子さんは西海の佐世保に暮す。
御両所とも句のリズムのやわらかな展開が似ているし、欧風の香りを覚える句柄も似ている。
そして、それよりなにより、二人は根っからの自由人であり、正真の詩人なのだ。

しかし、松郎さんの映像は静かでうすい青をおびていて、どことなく気質的である。
この人の周囲には清澄な山気がながれていて、見ると立山連峰が背後に聳えていた。

青年期をそこで過ごしたスイスの峻嶺もその向こうに覗く。

それにくらべて、涯子さんは熱く灰白。才質的といってよい。

この人の前には、山ではなく海が、それも北の海の寒冷ではなく、西の海の睡(ねむ)たさ、
南海の碧のうねりが、白っぽい潮気のなかにひろがっている。

そして私は、お二人をコスモポリタンともおもっている。
松郎さんは<青>の、涯子さんは<灰白>の。





●nora追記 別に掲載中の【黒の回想・35】文中の「 同じ装釘で同時に出版され兄弟句集 」

このイメージにヒントを得てか、阪口涯子第3句集「雲づくり」1983刊は
      
家木松郎「家城」句集発行のあとすぐ、同じ装釘同じレイアウトで、70句149頁を出版しています。

家木松郎さんは富山・立山の外科医で、年齢も涯子さんと近く、この黒の回想の文章を読んでいて、はたと気が付きました次第です。

兜太さんの解説も、兄弟句集を踏まえて、家木さんのエピソードが多くなっています。
      

  1. 2006/03/19(日) 09:05:52|
  2. ■ 『雲づくり』 阪口涯子第三句集
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『雲づくり』阪口涯子句集 表紙~目次





写真 『雲づくり』阪口涯子句集 表紙~目次 (1984年4月 海程新社刊)
下   初めの作品 と そのレイアウト 以後同じように2,3,4~60へと続きます。

今日から、阪口涯子第三句集『雲づくり』を転載いたします。
涯子さん82歳で出版の、最晩年の句集です。

第一句集『北風列車』・・・「天の川文庫」三  天の川俳句会刊
第二句集『阪口涯子句集』・海程「戦後俳句の会」刊
第三句集『雲づくり』・・・海程新社刊

句集発行にあまり関心がなかった、そういう生き方にも涯子さんらしい
潔さを感じました。

  1. 2006/03/19(日) 08:54:16|
  2. ■ 『雲づくり』 阪口涯子第三句集
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (37)


写真 「花韮」 2006・3・15 今年初咲き・うちの軒下にて。
    左の花の茎のように見える太い物体は木賊(とくさ)です。



            黒の回想 わが俳句遍歴 (37)

7.19(土)20(日)      「天の川」 つづき

        ピペットを吸ひ半獣の身をおもふ

        気圧計を読めば疲労の天垂り来


             北垣一柿を訪ふ

        時計の面ただに白くも家兎を殺す


             或日の自画像

        かたくなに学遂げんとすめしひつゝ

        あられなく明に飢ゑたる書を重ぬ

 これは昭和十二年の作品だ。


 盲いつつ、こころ半獣ともなって学を追う彼には、その針などすでに見えず、
時計とは単に白い面であったのだ。
そして彼は有明海にしか棲んでいない、古代生物のめくわじゃ・りんぐらあ(三味線貝)の
呼吸形態が鉄ー酸素によるものではなく鉄の代りにそれがアンチもニーか何かではないのかと、
その大発見を夢見ていたのだが・・・・・。同じ十二年の作品。

      
            蝙蝠・五句   

         蝙蝠の空濃く白亜つられてゐる

         蝙蝠にエホバがつくる街未だし

         蝙蝠が戯(ざ)れサイレンは皆違(たが)へり

         蝙蝠が戯れし汽笛がきいろなる      

         蝙蝠に灯のくまどりのたゞ固く

これは影草作品の一つの頂点だとぼくは考える。        

  1. 2006/03/18(土) 08:31:06|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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★哀のあふりか海に落葉がふりしきり★涯子


写真 「緋寒櫻」 2006.3.15 ご近所の庭木です。




                    砂之章  (18)・・・これで終了です


 73P         太陽の半環鵙がよく感じる


             水族館怨々の蟹自在な亀


             哀のあふりか海に落葉がふりしきり


 74P         感傷的な白い断崖サツマに満つ


             シベリヤにて黒太陽も皿も絶える


             西の地平のきいろい花やこわれた人



● ご拝読ありがとうございました。次回からは、涯子第三句集「雲づくり」をご紹介いたします。nora

  1. 2006/03/17(金) 07:58:55|
  2. ■ 『北風列車』 阪口涯子第一句集
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (36)


写真 「ソシンロウバイ」 2006・3・15 うちの庭にて。
実生、今年最後の花4輪のうちの2輪。





            黒の回想 わが俳句遍歴 (36)

7.19(土)20(日)      「天の川」 つづき


             モーリス・マレシャルを描く

         黙の海に正しくチェロのまむかひぬ

         投光のかの円錐にチェロと生く

         絃隆し西班牙の夜を彼聴ける

         昏き夜ぞ琥珀のチェロのはじかれし

         別離の夜チェロかい抱ける汗を見き

これは昭和十年作。それはぼくが九大に帰学した年だ。そのころすでに影草の視力は可なり
怪しかったし、果して、このチェリストの額の汗がみえたのか何うか。
心眼もて彼はそれを見たのではなかったか。


              実験する心臓・四句

          まさびしき器械の中に心臓(ヘルツ)生きぬ

          心臓(ヘルツ)生き饐えし日空を窓にせる       
         
          心臓(ヘルツ)うち光(かげ)一滴を反へしゐる

          蒼然と摶つ心臓の魂を見き

これは昭和十一年の作品だ。

  1. 2006/03/16(木) 08:04:52|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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★波しぶき海泡うごく俺の未明★涯子


写真 「 連翹 」2006・3・14  うちの連翹も咲き始めました。


                   砂之章  (17)


 71P          波しぶき海泡うごく俺の未明


             老ゲリラ無神の海をすべてみたり


             海の随所に小さな目玉楕円の蟹


 72P         国籍不明の夏の白花だ友だ


             荒い陶土渓流いたるところに咲き


             まんじゅさげの花火うちあげつつ師団

  1. 2006/03/15(水) 08:04:02|
  2. ■ 『北風列車』 阪口涯子第一句集
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (35)


写真 「三椏」 2006・3・8 近所にて



            黒の回想 わが俳句遍歴 (35)

7.19(土)20(日)      「天の川」 つづき

彼の眼疾(結核性網膜炎)は卒業後いつ始まったのであろうか、僕が九大の医化学教室に帰学した昭和十年には最早半盲状態であった。
俳句作品に、はっきりそれが表われるのは昭和十二年からだ。

彼には『洲』という昭和十四年に出した句集一冊があるだけ。その黒装の句集は北垣一柿の『藻』と全く同じ装釘で同時に出版され兄弟句集と謂われていた。

表も裏も真黒で表は左上方に純白な活字体の「洲」、それも白線で正方形に囲まれていて、下方に著者名が5号活字でこれも白く打たれている。この黒と白の諧調は簡素でそして美しい。

あとで(昭和五十二年)一柿はその「俳句通信」の中で書いている。
この二つの句集は実費は五十銭で定価は一円だった。

三百部づつ刷って二百部づつを「天の川」に寄贈したと。
尚、当時九大医学部助手であった私(一柿)の月給は五十三円九十銭であったと。

『洲』には 昭和五年から同十四年までの作品百四十三句が載っている。
彼はその後作品を発表していない。戦後も彼は福岡や北九州のいろんな大学で
教授あるいは講師として生理学を講じ、その教壇で俳句の話ばかりしていたとか聞くが、

九大時代からすべて実験には女子高専出身の助手を傭ってそれをやっていた位だし、
「今更点字を習うのもネー」と云っていた彼、知に恵まれ財に恵まれた彼からは天は残酷にも光を奪い去った。半盲から全盲へと。



●nora追記 上記文中の「同じ装釘で同時に出版され兄弟句集」

     このイメージにヒントを得てか
阪口涯子第3句集『雲づくり』1983年刊は
     家木松郎『家城』句集発行のあとすぐ、
     同じ装釘同じレイアウトで、70句149頁で出版しています。

     家木松郎さんは富山・立山の外科医で、年齢も涯子さんと近く、      この『黒の回想』の文章を読んでいて、
     はたと気が付きました次第です。
      

  1. 2006/03/14(火) 08:17:33|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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★おろしだいこも銀河もあいまいもことあり★涯子


写真 「オオイヌノフグリ」 2006.3.11




                    砂之章  (16)


 69P         おろしだいこも銀河もあいまいもことあり


             「きれいはきたない」陸橋わたりながら


             千の白蝶湧くよテーブルクロスに酔い


 70P         ひよどりは絶壁の笛か海の笛か


             ひよどりがたづねる海のちいさな書斎


             独り居れば海の渦より蛇より鮮

  1. 2006/03/13(月) 08:00:47|
  2. ■ 『北風列車』 阪口涯子第一句集
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (34)


写真 「椿?」 2006.3.11 ご近所の垣根にて



            黒の回想 わが俳句遍歴 (34)

7.19(土)20(日)      「天の川」 つづき

さて俳句のルーツに戻ろう。
棚橋影草のこと。
                                         
影草は、旧制三高から来た九大でのぼくの同級生である。
西鉄といえばライオンズ球団を持ってた位の九州一の私鉄だが、九水K.Kと九軌K.Kが
合併されて西鉄になった。
その九水か九軌のどちらかの社長か重役かの彼は御曹子であった。

ぼくのクラスに、余裕派というのか、アンチガリ勉派というのか、ディレッタント派というのか、
もっとよく謂えば芸術派というのか、ぼくをふくめて6,7名のそんな一団があった。
その連中が「土手ノ町の」といえば棚橋のことであった。土手ノ町は棚橋の豪邸のある町名である。

この芝居がかった名付け親は多分一高出の池野君だったと思う。池野も俳句をやったが、
ひどく5・7・5定型を嫌って自由律みたいのを作っていた。

僕が大連から九大に帰学したときも九大で小児科の講師をしていて、棚橋と一緒に、前に書いた
名器クレデンザでのレコードをききにぼくの宅に来たと記憶するから彼も相当の古典音楽ファン
だったのだろう。
棚橋のレコードいじりは年期が這入っていた。
中音階の音が一杯つまったようなブラームスはぼくは苦手であるが棚橋はそのブラームスや、
あいまいもこ派のドビュッシーが好きであった。

  1. 2006/03/12(日) 09:51:51|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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★れんぎょうの花の奥なり破壊破壊★涯子


写真 「連翹と大島櫻」 2005.4.17  松田山にて



                    砂之章  (15)


 67P         流れをつつみ北に艶なりすすきの国


             霧に縞ありざくろのごとき渓谷あり


             霧のはれま紅葉も落葉松も崖だ


 68P         いっぽん殘り朱(あけ)のきわみをつくしおり


             氷雨のすぢウォ-ッカますます蒼白なり


             れんぎょうの花の奥なり破壊破壊

  1. 2006/03/11(土) 08:10:14|
  2. ■ 戦後俳句作家シリーズ36 『阪口涯子句集』
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (33)


写真 「葱坊主」 2006.3.8  Kさんの畑にて



            黒の回想 わが俳句遍歴 (33)

7.19(土)20(日)      「天の川」

 記録的な長い梅雨がやっと終わって、青空に断片的な綿雲や、
紗のような薄雲が

そしてその紗雲の中に純白な櫛形の月が見え、庭の一隅に、

浜木綿よりももっと尖鋭なイスメネの花が咲き、夏だ。


鹿児島の矢住凉から送られた焼酎をオンザロック風にして独り飲み、

サボっていた回想録を続けねばと机に向かうのだが、
この焼酎をのんでいると、

鹿児島の田舎まで、イモ、コメ半々の焼酎造りを習いに行き、こちらに帰って、

小さかったが赤レンガの麹小屋をたて、大納屋に二石入りの瓶(カメ)
二十個位を埋め、

その端に赤レンガの煙突を立て、・・・・・などをしていた壮年の父を想い出す。

彼は養子であった。


近衛兵のとき日清の役で北白川ノ宮に率いられて台湾に遠征し

日露の役では応召して奉天大会戦を戦い

上官に楯ついて金鵄勲章をふいにし、ギャンブル好きで、

又反面信心深くて真宗の門徒総代を町でしたり、

阪口になる前の姓は唐津に多いらしい三根というのだがその三根時代のことは

漢籍を可成り勉強したことの外は殆んど話してくれなかった、

ぼくの幼いころ長崎の三菱に勤めていたその兄(ぼくの叔父)と二人の子供(ぼくの従姉兄)、

その姉の方がぼくの家にある夏脚気の療養に来ていたこと(あと病死)、


従兄の方が京都に移って、あと音信が絶えたこと、などで父方のルーツは今は全く解らない。

この文章を書き了ったらよく調べてみることにしている。

人間ひとたび老いれば、なぜこんなにおのれのルーツを捜したくなるのであるか。

れんめんとつづく無名の血統のもとが或いは朝鮮半島にあるとしても・・・・・。

  1. 2006/03/10(金) 08:10:34|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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☆たちまち風紋わが晩年の砂の山☆涯子


写真 「?」 2006.3.4 松田山みかん園にて  

●追記 コアラさまから「コリヤナギ」と教えていただきました。謝謝!
    行李作りに使われるので「コリヤナギ」とか。
    そういえば、行李作り修行中の若い職人さんの映像、最近TVで見ました。




                    砂之章  (13)


 65P         砂を掘り砂を掘りいるボールペン


             風に流れいる砂のみぢんの時間だ


             黒集団砂をゆきしが音絶える


 66P         らっきょうの花満開の砂女


             たちまち風紋わが晩年の砂の山


             別れを告げる砂のかすかな言葉

  1. 2006/03/09(木) 08:10:29|
  2. ■ 戦後俳句作家シリーズ36 『阪口涯子句集』
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (32)


写真 「タンポポ」 2006.3.4 松田山にて





            黒の回想 わが俳句遍歴 (32)

6.15(日)--つゆの霽れ間  つづき


何故か僕は、ここで突如として石川啄木の短歌を想う。

     
          * やはらかに柳あをめる
   
            北上の岸辺目に見ゆ

            泣けとごとくに


          * 病のごと

            思郷のこころ湧く日なり

            目にあをぞらの煙かなしも



          * 教室の窓より遁げて

             ただ一人

             かの城址に寝に行きしかな



          * 潮かをる北の浜辺の

            砂山のかの浜薔薇(はまなす)よ

            今年も咲けるや



          * 漂泊の愁いを叙して成らざりし

            草稿の字の

            読みがたきかな


北のハングリー啄木と南のロマンの鳳作とを一緒にするのは勿論非常識だ。
だが、だが、どこか似てる。

どちらも甘くて感覚的で、そして少しく簡単だからだろうか。
簡単の単純の美、二人共それ故に後世に残るというのは論理の粗野であろうか。

 夜が白々と明けて来た。

  1. 2006/03/08(水) 08:33:07|
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☆凍空に太陽三個死は一個☆涯子


写真 「クリスマスローズ」 2006.3.4 ハーブガーデンにて




                    砂之章  (12)


 63P         薄明の星くずを誰か書け


             朽葉敷きつめ雨を敷きつめ痛みいたり


             はげしい凋落うみつばめ一羽とべり


 64P         蒼々と猫族翔べり俺の旗


             凍空に太陽三個死は一個


             すすきの旗のかなしみが海員にあり

  1. 2006/03/07(火) 08:13:02|
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (31)


写真 「クリスマスローズ」 2006.3.4 松田山ハーブガーデンにて




            黒の回想 わが俳句遍歴 (31)

6.15(日)--つゆの霽れ間  つづき

人おのおのの意識と体験と体験に基く人おのおのの異った生の哲学、異なるが故の

個の哲学、それが短かい俳句表現として沸騰する、その沸騰こそが感覚だと僕は思うし、

「感覚的な句ならいくらでも出来るが」という鳳作だが、そして

「それがいやになる」 という鳳作だが、

それは彼が若かった故に生の哲学「生きる」への肉迫がまだ十分でなかった、

そして戦争を知らなかったせいであろうか。


 窓秋だったか誰だったか、鳳作について、

「少し簡単ですネ」と云った人も居たが・・・・・。が、

それ故に一層純粋感覚は鋭いとも言えよう。


         くろかみの重たからずや月光に   鳳作

 
 ともあれ「海の旅」にしろ「赤ん坊」にしろ、「灯台守」にしろ、それは

無季俳句の金字塔であることに変わりはない。

「天の川」陣営の中では歴史的に一番永く生きのびる人に違いない。

すべての天の川人が亡びても鳳作は残る。

それは簡単なために、というのは僕の言い過ぎか。

  1. 2006/03/06(月) 07:58:54|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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☆胸にラッセル逃亡の一獣群写り☆涯子


写真 「菜の花」 2006.3.4 松田山にて



                    砂之章  (11)


 61P         カクテルグラス宙にあり伊予松山にて


             鋭角の緑山塊蝶の翅一片


             山上けむるバーベキュー荒廃の家族


 62P         霜月波か芝かひろがる死者あまたに


             紅葉満ちいっぽんの樹の潟下はじまる    (潟は誤植・ママ)



             胸にラッセル逃亡の一獣群写り

  1. 2006/03/05(日) 08:35:55|
  2. ■ 戦後俳句作家シリーズ36 『阪口涯子句集』
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (30)


写真 「雪柳」 2006.3.2



         黒の回想 わが俳句遍歴 (30)

6.15(日)--つゆの霽れ間  つづき

鳳作自身も「旗艦」の指宿砂丘(榎島砂丘)に当てた葉書で

「小生最近一つのターニングポイントにあるような気がします。

句の傾向が一変するのではないか。


感覚的な句ならいくらでもできるが、それだけでは満足できず、むしろ、いやになりました」

と昭和十年九月号に書いていると、これは川名大の文章からの引用である。

あのころみんな若かったし、白泉、昭の批判にしても、それは同伴者としての

善意の「WHY」であり、最近の、ともすれば陰湿になり勝ちな俳壇的批判より、

カラリとそれは晴やかである。


昨秋は博多で北垣一柿は「鳳作が生きていたら、ずっと天の川に居ただろうか」

と云い出したが・・・・・それはともかく、次から次へと「天の川」は若い俊才を失い、

或いは白虹先輩を他に走らせあとでふれるが棚橋影草は盲い、などなど

禅寺洞の悲劇は昭和十年それは新興俳句の一つの頂点の頃だろうが、すでにそれが始まっていた。


鳳作にまた戻るが、昭和十一年頃だったか、十二年の初めだったか、

生物化学教室にいた僕が、隣の生理学教室にいた棚橋影草を訪れて雑談していた、

その時も影草は鳳作にふれ、さっきの白泉や昭の批判より、も少しきわどいことを言った。

僕はそのころ新興俳句にうとかったし、それは影草の鳳作に対するゼラシーの言葉だと

聞き流したが、ともあれ感覚の問題、人間の意識を知、情、意に分析する、

その情の先端の秀(ほ)、あるいは花、それを僕は感覚だと思う。
         

  1. 2006/03/04(土) 08:18:50|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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鳩の小骨真っ白にあり春野●野良




写真 1枚目   「蕗の花・土筆20本」  2006.3.2 開成町にて
写真 2、3枚目 「野焼き跡のツクシ群」



           【 100万本の土筆 撮りなおしです! 】

3月2日。土筆を撮りにもう一度、いつもの散歩コースへ、長靴を履いてでかけました。
雨上がりというだけではなく、野焼き跡につんつん残っている葦の残骸を、気にしないで
歩けますし、水場を渡って、オオタカの餌場のあの林へも入れるからです。

土筆はまだ、出始めたばかりで、頭の胞子が閉じたものが多く、これから
どんどん増えそうな気配でした。

焼け原の真ん中に、鳩くらいの大きさの細い白骨が、1羽分ほど散らばっていました。
夏、この草原の中で、猛禽類の誰かがお食事をした跡です。

林に近づくと、なんと今日はオオタカらしき鳥が高い枯れ木にとまっていて、noraが来たので、ゆっくりと
羽ばたいて飛んでいきました。その姿を目で追っていると、カラスが2羽、オオタカに
体当たりしたり、傍で脅かしたり?遊びだかいやがらせだか、をやっていました。しつこい奴等です。

オオタカはオス50センチ、メス56.5センチ。カラスと同じくらいの大きさで、
もっと大きなコサギは狩りますが・・・
カラスは不味いのか、集団暴力が怖くて手が出せないのか、
獲物のリストには入らないようです。

この広い田んぼには、タヒバリが十数羽、びゅるびゅると鳴いて飛びたち、ツグミも3、4羽
うろうろしていました。

オオタカの縄張りの林へ行くと、蕗の薹の大きくのびて、花が咲いているのに会いました。
毎年、10本くらいは頂いてきます。え?勿論食べるためです。大きくても香りはバッチリ!


●写真1枚目。3月2日の天婦羅素材の収穫です。土筆は、20本/100万本
  ぐうたらnoraのぐうたら料理用に、なるべく背が高く、ハカマが少ないのを探しました。(笑)
  花瓶になっている有田焼きの杯は、わが敬愛する俳人、阪口涯子さんから戴いた、
  源衛門5個セットのうちの2個です。愛用しています。

  1. 2006/03/03(金) 08:47:19|
  2. ■ 『北風列車』 阪口涯子第一句集
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