■阪口涯子の俳句

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●黒の回想 わが俳句遍歴 (28)


 写真 「阪口涯子・79歳」 1981・7
 生前、お葬式の遺影に希望。「航海日誌」に掲載の写真。



         黒の回想 わが俳句遍歴 (28)

6.15(日)--つゆの霽れ間  つづき

鳳作や窓秋や赤黄男や、三鬼やその他数名の秀作を例にあげて大いにエスプリ・ヌーボーについて説いた

積りだったが、それを聴いた僕の所の看護婦曰く、

「先生いろいろ話されたが私には『こおもりは月夜の襁褓(おむつ)嗅ぎました』だけが耳に残っただけです。」

勿論元句は「かはほりは・・・・・」だが、僕は「こおもりは・・・・・」にした。

ラジオ放送だもの。鳳作の「赤ん坊」はⅠⅡⅢと続いていて全部で十七句ある。

            にぎりしめにぎりしめし掌に何もなき

            赤ん坊を泣かしおくべく青きたたみ

            泣きじやくる赤ん坊薊の花になれ

            赤ん坊の蹠まつかに泣きじやくる

            指しやぶる音すきすきと白き蚊帳

            かはほりは月夜の襁褓嗅ぎました

            みどり子のにほい月よりふと白し

などが僕は好きである。「天の川」昭和十一年八月号にそれは載っている。鳳作が編集長をやっていた鹿

児島の「傘火」(選者白虹、ある欄は三鬼)に同年九月号に発表したⅢの中の四句は少し句格が落ちてる

ように思はれる。この一連を発表した九月鳳作は心臓麻痺で急逝している。


昭和四十六年九月号の「俳句研究」(鳳作特集号)に鳳作の一句を問はれた時も僕はこの「かはほり」の

句をあげたはずだ。

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  1. 2006/02/28(火) 08:02:37|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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★メロンの網わだつみの網すぎしかな★涯子


写真 「茄子の花」 2005.7.24 わが畑にて






                    砂之章  (8)
          

 55P         ネズミ三日月蒼くなれ蒼くなれと思惟する


             暗緑の兜蟹消えクロールも


             泰山木の白花泡の海原へて


 56P         垂直線が無数にみえるあち゛さい咲く


             メロンの網わだつみの網すぎしかな


             自意識など灯台ははるかにめぐり

  1. 2006/02/27(月) 08:00:07|
  2. ■ 戦後俳句作家シリーズ36 『阪口涯子句集』
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (27)


写真 「くちなしの実」 2006.2.9   




         黒の回想 わが俳句遍歴 (27)

6.15(日)--つゆの霽れ間  つづき

 昭和三十年、鹿児島の俳人詩人たちによって建てられた、この無季俳句の金字塔は1メートル×2メー

トル余りの黒の方形であった。


 ペンが進まず、夜になった。

 句碑の裏面の文が解らなくなったので、福岡の一柿に電話で教えてもらったり、ペンは仲々走らない。

黒の回想の(一)のウサギ小屋が(二)でうさぎ小屋に昇格したのは六畳と三畳と続いた日本間の庭に面

した縁側を二間(けん)に一間の広縁に建て増したからだ。

ぼくは机の周りを文献や何かで一杯散らさねば文章の書けない男だ。

その広縁が差当りその散らかし場所。


 蛙もこおろぎも鳴きやんで、もう午前一時半一両日中に鳳作の部は是非書きあげたい。

 煙草の吸い殻の山を横にした<鈍行の涯子>。

 ぼくの書棚には今まで鹿児島の形象社発行のポケットサイズの『篠原鳳作句文集』だけしかなかった

が、ごく最近、大阪の前田秀子さん(鳳作夫人)から沖積舎発行の美本『篠原鳳作全句文集』が贈られて

来た。川名大、坪内稔典の労作だ。

  
 その栞には、横山白虹、飯島耕一、高柳重信、前田秀子が文章を書き、巻末には 川名大が文章を書いて

いる。鳳作のことは、「形象」の特集、「俳句研究」の特集、山口聖二もぼくらの「鋭角」の前身「俳句基

地」の昭和三十七年から三十八年に七号にわたり「篠原鳳作の研究」を載せたし、もっと以前にかえる

と、昭和十四年年、五年頃僕自身大連で「新興俳句に就いて」ラジオで二回放送したことがある。(勿論

そのころテレビは無かった)

  1. 2006/02/26(日) 07:54:23|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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★れんぎょう雪やなぎあんたんとして髪だ★涯子


写真 「連翹と雪柳」 2005.4.17 松田山にて

                     砂之章  (8)
                                

 53P         山上に赤鯉むれる志満子志満子


             月の水仙漂泊を貼りつめている


             ねこやなぎキリストの眉こなごなに


 54P         れんぎょう雪やなぎあんたんとして髪だ


             こんじきの桜をえがく砂の上
             
            
             きらめく支那海いちめんにあり罪と罰

  1. 2006/02/25(土) 07:59:43|
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (26)


写真 「クロガネモチの実」 2006.2.22  



         黒の回想 わが俳句遍歴 (26)

6.15(日)--つゆの霽れ間  

 篠原鳳作にふれる順になったようだ。鳳作は昭和十一年(1936)に三十歳で急逝しているので、

昭和十二年に俳句に再出発した僕あこの人とも会わずじまいだ。今から六、七年前のことだが、今勤めて

いる病院の職員一泊旅行で鹿児島を経てバスで指宿へ行った。

何だか松林の間に土産品見世のごだごだとかたまった所で小休止した。それが長崎鼻であった。ぼくはバ

スガイドに

「この辺に鳳作の句碑があるなずだが」と尋ねると、一寸考えてたそのバスガイド嬢は

「あ、一寸この先にありますよ」

「遠いのですか」

「いえ、歩いて十分とはかからないでしょう、ご案内しましょうか」

バスガイド嬢はきさくに僕と只二人で、でこぼこ岩の道を歩いて案内してくれた。

黒っぽい岩で組まれた台座の上の方形の黒御影?に、

    篠原鳳作    満天の星に旅ゆくマストあり

            しんしんと肺碧きまで海の旅

            幾日はも青うなばらの円心に

と三句並べて肉筆ではなく活字体でそれは彫られてある。裏面には右肩に篠原鳳作、左下方に低く二行に、

       建昭和三十年晩春

       詩と美を愛する人々にて

とあるばかり。余分なことは何一つ書いてない。向こうはすべて東支那海、その日は鉛色に凪いでいた。

北垣一柿がその「俳句通信」で、その句碑の見事さを激賞していたし、一度は見ておかねば

との日頃の思いを果した僕は同行してくれたバスガイドに

「これ有名な句碑ですから、バスの中でもアナウンスしたら」

と云ったらガイド嬢も優しくうなずいて呉れた。

  1. 2006/02/24(金) 07:57:31|
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★むつごろうわが逆光の泥はなびら★涯子


写真 「沈丁花」 2006.2.19  蕾の皺は、はじめは水滴か?と思いましたが違いました。早春の皺です!




                     砂之章  (7)
                                

 51P         可憐な海がコンクリートへ滲みてくる


             松浦やまなみただ一匹の青い獣


             羊歯山に水さらさらの虜はれ人


 52P         むつごろうわが逆光の泥はなびら


             むつごろうに眼あり翼ありジャンプあり


             戦(せん)又 戦領布振山へみな松むき 

  1. 2006/02/23(木) 07:52:15|
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★アフリカのこぶ牛などもみてしまいぬ★涯子


写真 「葉牡丹」2006.1



                        砂之章  (6)


 49P          首かざりのような夜景のひとり士官


              しらす大地明日は狂者が響き居らん


             チンパンジーサツマノウミニナミダタラス


 50P         旗に咳し砲に咳して白瀑布


             冬の花ギロチンよりも水平で


             アフリカのこぶ牛などもみてしまいぬ

  1. 2006/02/21(火) 08:01:55|
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (25)


写真 「晩白柚」=ばんぺいゆ と蜜柑の衛星たち 2006.2.18


         黒の回想 わが俳句遍歴 (25)

 6・7(土)--つゆの霽れ間  つづき

戦後間もない頃、『北風列車』の一部を幡谷東吾の「幼像」(創刊号で廃刊?)に載せたら、俳人格者平

畑静塔は

「涯子の苦痛は解るが作品は、まるで俳句の骨法を心得ていない」と評した。

なるほど俳句の骨法かとも思ったし、今から十年程前、今は亡き三谷昭と佐世保で食卓を同じうした夜、

「静塔の戦後の変貌がぼくには解らないもですが」とぼくが云いだしたら三谷は「ぼくにも解りません」

とぽつんと答えたことがあった。

昔の「京大俳句」の分身のような現在の季刊誌「三角点」は、それに載っている静塔の文章もろとも今も

ぼくは愛読している。

そして仁智栄坊の存在を心ひそかに祝している。栄坊の戦中の作品「アラブの太鼓」の一連、句そのもの

は忘れてしまってたどり得ないが、あの太鼓の暗い響きは今も耳朶深くその響きが残っている。

その句深沈としていて、

「リトノビフは葡萄酒じゃないぞ諸君」の比ではあるまい。栄坊よ、もしこの雑文が目に止まったら、あ

の「アラブの太鼓」の一連を僕に教えて欲しい。

  1. 2006/02/20(月) 08:07:18|
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★どろんと赤道直下ちっとも神答えず★涯子


 写真 「露草」 2005.6.11 


                      砂之章  (5)


 47P          ゴーゴーをおどりひもじい黒羚羊
 

              黒羚羊の兄のひもじいきれいな英語


              みな日ぐらしの黒羚羊や黒河馬や


 48P          フォークリフトあやつり黒いまばらな奴ら


              グラスにて花むれる黒い国をみた


              どろんと赤道直下ちっとも神答えず

  1. 2006/02/19(日) 08:42:06|
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (24)


写真 「南瓜の花」 2005.7 わが畑にて



         黒の回想 わが俳句遍歴 (24)

 6・7(土)--つゆの霽れ間  つづき

特に 横山白虹は九大俳句会のリーダー、「天の川」の編集長として、俳句が新興する運行の中で輝く星で

あったとして、白虹の

          冬の花一輪かざり昇降機 (昭和六年)

などをあげている。白虹自身、句集『空港』の巻末の略歴に、 昭和二年より、「天の川」の編集に当り、

と書いている。そして、昭和七年頃はすでにまだ医学生だった北垣一柿が盲いつつあった 棚橋影草をた

すけて「天の川」の編集を加勢している。

アンチ「ホトトギス」を、アンチ花鳥諷詠派を総称して新興俳句と称したのであろうが、その名付け親の

名をぼくは知らない。


新興俳句が、昭和六年以降の日本の「暗い時代」突入と期を同じうして発生したが故に、「花鳥」を離れ

「生きる」をその内容とせざるを得なかったことも当然である。そして無季の時代がはじまった。

だから時代考証的には新興俳句の名称が先で、無季俳句の名称がわずかに後だと云えるだろう。そんな時

代考証など、ぼくにはどうでもいい。秋桜子の「馬酔木」すらはじめは新興俳句側であったということ

だ。そしてぼくの先輩横山白虹、が戦争最中に「中央公論」に書いた五句、

          銃眼に銃執り夜天撃つべきか

などの一連に大連でひどくうたれた僕なのだが、現代俳句協会長の現在の白虹は、有季定型に帰り、そん

な苦悩的俳句を今は見せては呉れない。

昭和八年にはじまった「京大俳句」の人々の作品を、当時の『天の川』の人々の作品より、或いは、より

愛していたかも知れない<あわれな涯子>。

  1. 2006/02/18(土) 08:20:56|
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★黒人の太魔羅綿の実こぼれつづけ★涯子


写真 「タチアオイ」 2005.6.5

タチアオイの好きな王妃の為に、タチアオイを模した宮殿を造った、という話を思い出します。




                      砂之章  (4)


 45P          貝殻廊下やわらかに毒流される


              万の蝙蝠むれる巨樹あり兜太うすれ


              黒人の太魔羅綿の実こぼれつづけ


 46p          汗噴く脳髄のしみじみ光る象牙だ


              岩かおのれか風のアフリカ南端で


              金の並木栗鼠とたわむれつづく喪失

  1. 2006/02/17(金) 08:02:28|
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (23)


写真「オクラの花」 2005.7.14 わが畑にて


         黒の回想 わが俳句遍歴 (23)

 6・7(土)--つゆの霽れ間  つづき

 横山白虹の
 
              展覧会場にて

          三階の画廊へのぼる段けはし

          眼の前におみなの脚のおりてくる

          家々の裏のまずしさ窓ゆ見たり

や幡谷梢閑居(東吾)の、

          新聞紙(かみ)の香のぬくきをさしぬ固き戸に

          軒の闇すがしき河の色にあひぬ

          新聞紙(かみ)鳴らすかろき音より朝となる

などが昭和九年に出たのか、昭和十年の「心花集」に出ているのかも文献不足で僕にはよく解らない。

とにかく「天の川」の無季俳句は昭和九年、十年から出だしたのは確かなようだ。


 新興俳句という言葉がある。最近号の「三角点」をよんでいたら、新興俳句と無季俳句は違うという仁

智栄坊の言葉にぶつっかった。新興俳句という言葉の発生機序を詳らかにしないが「俳句研究」の昭和五

年六月号の「昭和初期の俳壇」の横山白虹の項で                     

「昭和六年は日本にとって、とりわけ、<暗い谷間>の入り口にあった(中略)この年に、われわれの現

代俳句が<新興俳句>と呼ばれるジャンルの淵源を鮮明にしはじめたことは、奇しきめぐり合せと言わな

ければならない。」                                          

と書き、「馬酔木」の高屋窓秋、石橋辰之助、石田波郷、加藤秋邨らの名を挙げ、「天の川」の芝不器男、

横山白虹、篠原鳳作、棚橋影草、北垣一柿らの名をあげている。

  1. 2006/02/16(木) 08:32:23|
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★風との対話海を翔びゆく俺のパンツ★涯子


写真 「ホタルカズラ」 2005.5.10 順礼峠にて



                     砂之章  (3)


 43P          朽葉いろの蟹や小鳥や人の故郷


              みみず形のアラビヤ文字まわりは虚


              風との対話海を翔びゆく俺のパンツ


 44P          薬師寺の塔の水煙「海へ帰れ」


              わずか青し空にあまたの階段聳ち


              半球に海半球に菊密封され

  1. 2006/02/15(水) 08:22:35|
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (22)


写真 「温室のジャングル」 2005.5.3


         黒の回想 わが俳句遍歴 (22)

 6・7(土)--つゆの霽れ間  つづき

と、それは続いている。吉岡禅寺洞年譜によれば「天の川」に「心花集」という無季俳句欄が出来たのが

昭和十年四月号からであるから、ヤコブのは一年余りそれより早い。そして昭和十一年(1936)の

秋、禅寺洞は日野草城、杉田久女とともに「ホトトギス」同人を削除されている。


神崎縷々は九大法科を出た人とばかり思っていたら、彼は東京高等商業(いまの一橋大学)出身者で銀行

員や商社員をつとめたあと九州小倉で自己の神埼商会を創立している。


句集の見開きに、眉長く鼻隆く、男性的でそして神経質らしい彼の写真が載っている。「天の川」編集部

から手を引いたあとであろうか、不器男句集を出したり、縷々句集を出したり、それを次の篠原鳳作たち

につないだその接点で横山白虹はいい仕事をしている。



 さっき縷々の「ヤコブ」の句が無季俳句の走りではなかったかと書いたが、これは我ながら少し怪しく

なった。その昭和九年には調べてみると、棚橋影草にも、

              久保教授告別臨床講義

          撮影の灯をあつめたりヰノクボに

          生々と十六ミリの音ぞ流るる

などの作があるし、篠原鳳作が書いた、あの有名な「海の旅」。

          満天の星に旅ゆくマストあり

          しんしんと肺碧きまで海の旅

          幾日はも青うなばらの円心に

も昭和九年に発表されているし、他にも調べると新事実は出るかも知れない。何れにしても「天の川」に

無季俳句が発芽したのは昭和九年、その新しい勢いに押し出された昭和十年の無季の「心花集」欄新設で

あったのであろう。

  1. 2006/02/14(火) 08:15:23|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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梅開き永久機関走り出す●野良



写真 上 「白梅」 2006.2.8
    下 「紅梅」 2006.2.11


小田原の梅が咲きはじめました。写真の白梅は近所で、一番早く咲きます。

去年はお正月からぼちぼち咲いていました。この梅の木に限って言えば今年は1ヶ月遅れています。

曽我梅林が、観梅と梅の生産地でも有名で、3万5千本の広い梅畑があります。

2月11日、梅まつり、観光流鏑馬をやりましたが、主役の梅はまだ全然咲いていなかったそうです。

その馬たちが、駅近くで、出番を待って休んでいるのを見たことがあります。


紅梅は、鷹匠を見たあと、買い物の帰り、よその庭に咲いていたのを撮らせていただきました。

  1. 2006/02/14(火) 07:58:46|
  2. ■ 『北風列車』 阪口涯子第一句集
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★雨季の白波左舷すべてが飢じい国★涯子


写真 「温室の赤いシッポ!」・・・名前不詳 2005.5.3



                    砂之章  (2)


 41P          満月のタンカーの傷ふかい船長


              テンペスト全檣さけぶパンツ清し


              テンペスト夜はペンたちが縦横に



 42P          魚一尾こんなに遠くやって来た


              暗たんと銭をかぞえるアラビヤで


              雨季の白波左舷すべてが飢じい国

  1. 2006/02/13(月) 08:07:14|
  2. ■ 戦後俳句作家シリーズ36 『阪口涯子句集』
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (21)


写真 「タンポポの種」 2006.1.10


         黒の回想 わが俳句遍歴 (21)

 6・7(土)--つゆの霽れ間

 さきの芝不器男にも、ここで書く神崎縷々にも、つぎに書く篠原鳳作にも実は僕は会ったことがない。

僕が七年か八年位俳句を止めてた時代にこの人たちは出現してそして若くして死歿してしまった。

不器男が昭和五年二十八歳で、縷々が昭和十一年三十七歳で鳳作も昭和十一年三十歳で逝去している。

 
この中、不器男句集と縷々句集は横山白虹の手で遺句集の形で出版されている。不器男句集には百七十

五句、縷々句集に至っては唯の七十数句、共に禅寺洞選にはなっているが句数は少ない。

鹿児島の形象社の前原東作らの手による、『篠原鳳作句文集』の句数は四百七十七句。最近出た前田秀

子(鳳作夫人)、川名大、坪内稔典編、沖積舎版の全句文集の句数はもっと多いであろうが。とにかく不

器男句集も縷々句集もその数は少い。

    縷々はさっきの


           血に痴れてヤコブの如く闘へり

の一句で俳史に残っているといっても過言ではあるまい。それも馬酔木の

           喀血の蚊帳波打つてはずされぬ

との対比、優劣論争即ち有季無季論争によってである。横山白虹編による縷々句集は昭和五年の、

           茱萸の花にぼろをほしたり草の宿

に始まり、昭和九年の、
 
           大いなる静けさにあり秋を病みて

で終わってる縷々句集がその全部であるけれど、新興俳句運動の基礎ともなった無季俳句の、その走りが

このヤコブの作品ではなかったのか。縷々句集を読んでみて驚いたことは、七十数句の中 、 このヤコ

ブだけが無季であとは全部有季俳句であったことだ。何れも昭和九年の作品であるが、

           血をはけばかむさぶるらむ冬空の

           冬空の神にこいつま嘆こうも

           血に痴れてヤコブの如く闘へり

           凍てつきし血潮をかわく神のにへ

と、それは続いている。

  1. 2006/02/12(日) 08:17:02|
  2. ■ 『黒の回想・わが俳句遍歴』 阪口涯子
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ペンインクのこしひらひら海へ行く★涯子


                   写真 蘭(パフィオ) 2005.5.3 温室にて


               
                      砂之章  (1)


 38P           白鳥に氷雨降らせる賭けをする


 39P           さめざめ青しみぞれつづける水仙人間


               はるか香う算術でない冬の果実  (はるか香う・は元句通りです)


               瞋恚の綱天から垂れる海がある


 40P           飛魚(あご)舟の白三日月ら険な時間


              モジリアニの長身の船消えぬ天才


              ペンインクのこしひらひら海へ行く

  1. 2006/02/11(土) 09:03:40|
  2. ■ 戦後俳句作家シリーズ36 『阪口涯子句集』
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (20)


               写真 「ローズマリー」 2005.10.10



         黒の回想 わが俳句遍歴 (20)

                                           つゆの霽れ間


 1980・5・25(日曜)ーあらしの日


    あなたなる夜雨の葛のあなたかな     不器男


 彼は「天の川」にも「ホトトギス」にも投句していたが、この句は「ホトトギス」で虚子が推賞して、はじ

めて芝不器男的に有名になった、そんな作品であったと記憶する。

 
この句をよく読めなかった、素十や秋桜子たちに対して「夜雨の葛」はたとえば箱根あたりの山でもよ

ろしい、はるかなる距離の中間にそれはあるのだと諄々と説明していた虚子の慧眼にぼくも眼のうろこが

剥がれる思いをした。

 
 不器男は歿後四年、昭和九年、に横山白虹の手で天の川遠賀支社から出版されている。全句数百七十五

句、前掲の句、句集には前書きがある。

      二十五日仙台につく、みちはるかなる

      伊予の我が家をおもへば

 と。「ホトトギス」ではこんなながい前書きは無かったように記憶するし、また僕の記憶ちがいに相違

ないけれど、ぼくの頭の中には、今まで、


      
         あなたなる夜雨の葛のあなたなる     

と残っていた。

                白浪を一度かゝげぬ海霞

                白藤の揺りやみしかばうすみどり

                鴉はや唖々とゐるなり菌狩

                栗山の空谷ふかきところかな

                秋の日をとづる碧玉数しらず
          
ぼくは「天の川」が無季俳句、新興俳句突入前の、よき時代として不器男を選んだ。これらの句、ど

こか憂暗の影があり又象徴の香りがある。

  1. 2006/02/10(金) 08:13:05|
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飢餓丘陵すず虫がなく白ひげふり★涯子


写真 「タンポポと虫」・・・関東タンポポだったかは失念^^; 2005.4.17 松田山にて



                      中之章  (7) 

                     ●エンタープライズの橋 五句

               
               若い樹の花満開の泣いている橋

 
 35p           ドストエフスキーの斜めな灯柱橋蒼ざめ


               凍海のくやしい過去の自分たち


               白い杖のまわり鉄片ふりつづける


 36p            黒潮はてる街の無名なしずかなデモ


              

               絃殊に美くし寒い湾へ沈み


               飢餓丘陵すず虫がなく白ひげふり


 37P           黄沙のふるさと細字の月もかがやきそめる
 

               黄沙すすりなく全く個人的な男

  1. 2006/02/09(木) 08:24:32|
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 ●黒の回想 わが俳句遍歴 (19)


                             写真 「クリスマスローズ」 


         黒の回想 わが俳句遍歴 (19)


   3.20(春分) つづき

 人が沢山すぎる程いた以前の「天の川」をふりえって見よう。
 
当然、無季或いは超季俳句の先達、神崎縷々、篠原鳳作あたりから書くべきであろうが、それよりほん

の一寸前、禅寺洞、草城、久女がホトトギスから除名さる前及び後の時代の芝不器男の名前がどうしても

忘れられない。

 
芝不器男は旧制松山高校を経て、東大農学部入学、途中退学して東北大工学部卒業、病(肉腫)を得て

九大医学部外科に入院、横山白虹たちに最期を看とられて、昭和五年二月福岡で永眠している。二十八

才。調べてみると明治三十六年四月(1903)生まれだから、彼はぼくより一年半ほどあとで生まれている。

 
鳳作だって四年余りぼくよりあとで生まれている。縷々は二年ほど先輩だ。彼らの秀でた業績におどろ

くということもあるけど、若い日から病多く体重四十五キロを今まで一度も越えたことがない。そして酒

を愛し煙草を愛し、こんな愚かな文章を書いている僕が七十八才になって尚生きているという、その長生

に自分自身おどろくということです。禅寺洞もひどい愛煙家であったが、昭和三十六年に七十三才で世を

去っている。


           八十までは数えていたり墓墓墓

の鷲見さんや、俳句が「天から降ってくる」家木さんの、老いし人の素直な流露性という奴が僕には欠け

ている。
 
不器男の話をつづける。

  1. 2006/02/08(水) 08:44:54|
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芽ぶき重ねる革命の落葉樹巨きくて★涯子


                     写真 「マユミの実] 2005.12.10 ヤビツ峠にて


      
               
                       中之章  (6) 


 33P           芽ぶき重ねる革命の落葉樹巨きくて


               学虚しそれから電車走らせる


               きよし前衛機械の悲鳴雅楽交じえ


 34P            水色深い告別オーボエたえず吹かれ


               蛾と住むだけの城十年後水残らん

  1. 2006/02/07(火) 07:55:20|
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●黒の回想 わが俳句遍歴 (18)


                  写真 「パイナップルセージ」 2005.10.10


         黒の回想 わが俳句遍歴 (18)


   3.20(春分) つづき

 俳句の世界に戦犯問題が起ったり、俳句第二芸術論が謂われたりしたのは僕が大連から引揚げた一寸前

のことだった。第二芸術論に対するヒステリックな反論はその引揚当時も続いていたが、戦犯問題はすで

に影をひそめていた。古家榧夫の『単独登攀者』は今ぼくの所に古家氏が送って来たものだ。

 ロマンチシズムにあふれたこの句集は今でもぼくは好きだ。新興俳句運動、くたびれはてたクラシシズ

ムに対抗するには批判の色濃ゆいロマンチスズムの若さが必要であったし、古家もその秀れた一人であった。

 
古家が禅寺洞に対して戦犯よばわりしたか何うか、どこかでそんなこと聞いたような気がするが詳しい

ことは何も知らない。そんなこと旧天の川の人もぼくに何も語ってくれないで、何うして、こんなこと書

き出したのか、狐につままれたようなことになってしまったが、今ぼくが問題にしているのは「白馬」の

作品なのだ。「鶴百句」の名作を或いは「逃げ」といった僕ひとりの感慨なのだ。

 
「白馬」がかつての将軍たちが乗りまわしたその成れの果ての白馬にちがいないと<愚かな涯子>が考

えたとしても、「白馬」の作品が少し言葉がきついが「贖罪」の作品と僕が読んだとしても、どこか無理

があるだろうか。

 
新興俳句の大御所であった禅寺洞、口語自然律を称えながらも、口語自然律の道への遍歴をたどらざる

を得なかった、そしてその道半ばで、ぼくらそれにそむいてしまった、師といい弟子という道のけわしさ

に僕は涙する。臨終の少し前に訪れた僕に禅先生は呟いた。「今の天の川には人がいない」と。

  1. 2006/02/06(月) 08:46:58|
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ガラスのよう遠くて寒い旅を決める★涯子


                写真 「クサボケ」しどみ・草木瓜 2005.4.16


                     中之章  (5)     
         

 31P           かみきり虫ひとり髯ふり森にいたい


               こおもり天使ひらひらみちる長崎坂


               ガラスのよう遠くて寒い旅を決める
 


 32P            北の三日月父らこぼれる肩くまずに


               月を聴くきれいな河の旅を経て


               ひとり乗るいつも東へ汽車はしらせ

  1. 2006/02/05(日) 21:51:04|
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●  黒の回想 わが俳句遍歴 (17)


 

         黒の回想 わが俳句遍歴 (17)


   3.20(春分) つづき

など。禅寺洞はホトトギス俳句、新興俳句、口語俳句を遍歴した、俳暦ふるく、変転めまぐるしい

作家であるから、その中から二十句を選べと云われると誰しも何処に重点をおいていいのか困ってしま

う。兜太は割に感覚的でそして重い句を選んでいる。前記の外に、


            雲黒(あお)く にほへり 麦を蒔く人ら

            飯くへり 地球は 蒼くかたむけり

            冬菜たち 手をあげ あらあらしい朝日です

            空うすし 鳥人 いまは地にたてり

など。

 北垣一柿は「阿久根の鶴」から十句を選んでいる。この「鶴百句」は昭和十六年の作品だ。新興俳句弾

圧時代のさなか、禅寺洞は鹿児島県阿久根に行って数時間の見聞や印象の中でこの百句を物したという。

多力者だ。

 そして、僕は、単なる花鳥とは謂はないが、彼がある種のカムフラージュをしたのではないか、「天の

川」を救うためにある種の「逃げ」をうったのではないかと、今ひそかに思うのだが、一柿、も花御史

も、そんなことはそれを否定するであろう。<ひねくれた涯子>の推理。そのひねくれ故荷か、「私の禅

寺洞二十句」にぼくは他の誰も入れていない「白馬」八句を入れた。


             ごみ車 さだかに 白馬ひいてくる

             まぼろしのように 白馬がいく ごみ車がいく

             白馬 ごみ車をひいていく かえりみる人もない

などの八句。これは昭和二十八年の作品だ。            

  1. 2006/02/04(土) 08:52:52|
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天のらくがきオリオン女陰豪華な冬★涯子


         写真「温室の花・名前不詳」 パキスタキス・ルテアと判明。unimamasanさまからの情報です


                   中之章  (4)     
        

 29P           みどりのじゅうたんその他はあらい歳月で


               面積ひとしい夜の窓傷をなぐさめる


               どこも四角な新宿教授髪をうすめ


 30P          天のらくがきオリオン女陰豪華な冬


               バラの中次第に彼奴がこわくなる



               電気カミソリ掌に風景がしみこんで

  1. 2006/02/03(金) 08:01:54|
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● 黒の回想 わが俳句遍歴 (16)


  写真「夏みかん」 2006.1

 
         黒の回想 わが俳句遍歴 (16)


   3.20(春分) 

 少し体調をこわしてペンをとめてる中に、すっかり春になってしまって庭の加茂木阿弥の沢山の蕾が

一斉にほぐれはじめた。この関西の白椿の苗木を植えてから十五年も経つであろうか。
 
椿は生長の遅い木でまだ高さも幅も一メートル位い、その豊かなしべとそれを包む乳いろの弁とのバラン

スが見事である。その百個の蕾がいっせいにほぐれはじめた。わが怠慢を叱るように。

 

 昨秋遠賀川の片山花御史を訪れた時、禅寺洞の代表作は何だろうと尋ねたら「ほら涯子も書いている

よ」と鹿児島の「形象」1967年(昭和42年)三月号の特集禅寺洞研究をすぐ出して呉れた。

その中に「私の禅寺洞二十句」という欄がある。それを書いていてるのは、三谷昭、金子兜太、阪口涯

子、北垣一柿、片山花御史、前原東作の六名、涯子以下は「天の川」出身だが、三谷、金子以外の四名は

「天の川」の縁故者ということになってる。その選句が実にまちまちなんです。六名が選んで最高点が三

点、次は二点。

 
三点句    昭、一柿、花御史      ●海苔買ふや追はるる如く都去る

 
二点句    昭、涯子          ●千人針 舗道の灼けに 鈴懸の下に


       昭、東作          ●コーヒーのんでねむらない夜のおかめこほろぎ


        兜太、一柿         ●ごきかぶり 白きタイルに 医師が追いぬ


兜太、東作          ●空に描いた赤い魚 落葉期がきている

 
        兜太、花御史        ●丹頂の白さが胡粉のやうな昼だ


       一柿、花御史         ●黄沙 もう降ってはゐない 花のしろさ


       花御史、東作         ●土古く渡来の鶴をあるかしむ

  1. 2006/02/02(木) 07:56:16|
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ふかい木目の垂直の家友ら消え★涯子


                         写真 「タブの花」 2005.5.3


                    
                     中之章  (3) 


 27P           ガバガバ寝る美しい蛾の家にかえり


               鵙がなく食器にうすく空気ためて


               塗料かわくまわりすすきの白旗で   



 28P           ふかい木目の垂直の家友ら消え


               海に泡だつ黒岩しかしそれがうごく


               静かに腐蝕ひろがる空母の湾口から

  1. 2006/02/01(水) 07:52:36|
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